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 秀栄高校の同窓会の会場は、お好み焼き店だった。学生が打ち上げをしようとするときに、必ず名前が挙がるところだ。酒なしでやろうとすると、この田舎町では、他にカラオケくらいしかない。もう卒業から十九年が経過し、居酒屋にしても問題はないはずだった。それでも会場として選ばれたのは、地元出身の人間ならば、一度は訪れたことがあるといっても過言ではない馴染みの店だからだろうか。  漆間が店に入ると、ドアにぶら下がっていた鈴がけたたましく鳴る。ほどなくして、おかみが厨房から出てきた。おっきくなったねえ。感慨深く漏らす。微苦笑しながら、おかみは何年たってもおきれいなままですね、と返す。靴を脱いで一段上がる。もう、調子いいこと言っちゃって。まんざらでもないように笑いながら、スニーカーを取り上げようとしゃがみ込んだ漆間の背中をたたく。容赦のない力に、バランスを崩して片手を床についた。肩越しに振り返ったが、楽しそうに笑う昔馴染みの女将に、開きかけた口を結んで緩める。  漆間がここを訪れるのは、高校の卒業式以来だ。クラスの打ち上げだった。 下駄箱のふたを開けて靴をしまい、下駄箱鍵を引き抜く。木札状の鍵は、かつて友人が紛失して弁償したことを思い出させた。雪乃、何組だい? 問いに、二組ですが。語尾を濁して答える。受付があるんだよ。おかみは男まさりに説明する。三年生の頃のクラスごとに受付をする部屋が分けられている。最初に顔を合せるのは、懐かしのクラスメイトというわけだ。  店は貸しきりになっている。特別なんだから、存分に楽しんで帰りなさいよ。きれいな歯並びを見せつけながら言った。おかみが案内を始める。  奥の間へと通される。ほら、雪乃がきたよ。がやがやと騒ぎ立てる元級友たちに負けんばかりの声で伝えられた報告だったが、奥の者たちには届いていなかった。代わりに手前の二対の目が漆間を見上げる。おっせえよ。真っ先に声をかけた綾部はすでにできあがっていた。故意に短い前髪からのぞく額から首まで赤くなっている。まだ始まって一時間半しか経っていなかった。ビールでいい? おかみの問いにうなずく。ひとまずテーブルを挟んで綾部の前を陣取った。奥の方で騒いでいる面々を一瞥する。ざっと十人。元クラスメイト以外の顔も見られた。最初の三十分くらいはまともに同窓会してんだよ。綾部の左に座る色葉が情けない調子で言う。まあ、そうだろうね、と苦笑する。そもそも綾部は三組の人間だった。 「んだよ、遅刻」綾部がビールをあおる。 「遅れるってちゃんと幹事に連絡してあるよ」色葉を見遣る。 「うっせえ、一時間って言ってたろうが」 「三十分間は榎本のせいだよ。一緒に行く予定だったんだ。あいつも遅れて行くって言っていたからね。今までカフェで待っていたんだよ」 「うっせえ、遅刻は遅刻だ」またジョッキをあおる中学時代からの幼馴染みに、漆間はひそかにため息を漏らす。 「じゃあ今日、凜はこないってことか」色葉が近くにあった水を酔っ払いに寄せながら問う。 「どうだろう。何回も連絡して反応がなかったから、こないのかもしれないね」 「あのスマホ依存症が? 一応、三組の幹事に訊いてみるか」立ち上がろうとする。 「別にたいしたことねえだろ、ほっとけ」  しかし、綾部が横からぶっきらぼうに言いのける。テーブル上の手がジョッキをつかむ前に、前方から盗み取った。返せよ、と睨みつける。漆間はただひたすら、目を合わせるだけにとどめた。その間に、肩に手を置かれっぱなしの色葉が先ほどの水をより近づける。  やがて綾部は水のグラスを乱暴につかむ。睨み合いでお前に勝てるかよ。短く負け惜しんでから飲む。奪ったジョッキをなるべく遠くに置いて、肩をすくめる。元来目つきが悪く、真顔でいても睨んでいるように勘違いされることもしばしばだった。 「あっ、そういえば色葉、コンタクトにしたの?」 「えっ? ああ、レーシック。金に余裕ができたからな」唇を横に広げるだけで笑うところは、学生時代と変わらなかった。色白でやや骨ばっていることも相まって、不気味さをかもし出している。だが以前よりもいくぶん和らいでいた。 「金に余裕? だから、うーん、少し丸くなった?」 「ちげえって、奥さんの手料理のせいだろ」綾部の投げやりな指摘。 「え、結婚していたの?」 「ゆっきー、知らなかったの?」  漆間の前にジョッキが置かれる。見上げれば、しかし言葉に詰まる。パーカーにジーンズの女性は、いたずらっぽく笑う。「さてはその顔、私のことを覚えてないね?」 「うん、ごめん。女性は大人になると、一気にきれいになっちゃうからね」眉尻を下げる。 「おい、色葉、出たぞこいつの」 「出たな、雪乃の」  旧知の友の指摘に、肩をすくめる。変な言いがかりみたいな、やめてよ。やんわりと抗議。 「なっちゃんだよー、寺島夏葉」答えたのはパーカーではなく、また新たに現れたスーツ姿の女性の方だった。黒髪を後ろで一つに束ねている。 「ああ、寺島か。え、寺島ってここの店員だったの?」 「はあ? なわけないでしょ。東京の家具屋で働いてますう。あんたのビールは、おかみさんに通路でばったり会ったから持ってきただけ」  へえ、と生返事をしつつ古い記憶を呼び起こす。髪型から違った。肩甲骨のあたりまであったはずの黒髪は、肩より上になっている。彼女が最初に所属していたグループは学年の中でも度を越したはなやかさを持っていた。大々的に校則違反の厚化粧やピアスの穴などをやらかしていたが、面影がない。雰囲気にも落ちつきが出て、化粧も薄くなっていた。 「じゃあ、相変わらず見かけだけ不良のゆっきー、あたしが誰だかあててみてえ」  寺島の肩に両手を置いて、スーツ姿が後ろから顔を出す。垂れ目で常に口角が挙がっているため、温厚さがにじみ出ている。倉坂か。解答者は小さく即答し、口元を引きつらせる。せーかい、すっごい嫌そうな顔してるう。片手を高々と掲げて間延びした結果を口にする。  漆間は目つきの悪さをどうにか好転しようと努力をせず、仏頂面でいることが多い高校生だったこともあり、見かけだけで不良扱いされることがしばしばあった。ひどいときは睨みつけたと言いがかりをつけられ、けんかを売られる。売られたけんかにはこたえてしまう性格のせいか、一緒にいることの多かった綾部は自然と巻き込まれ、当時綾部とつき合っていた倉坂もときどき返り討ちの現場に居合わせることがあり、ついには加勢することもあった。その皮肉として、倉坂は当時から「見かけだけの不良」と漆間に肩書きをつけた。
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