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 陽気になり、口調が荒れる。綾部が酔っている証拠となる現象だった。駅までの帰路を歩きながら、左からの大雑把な口調で繰り広げられる素面のときよりはぶっきらぼうで早口な語り口調。個人的に月に一度は飲んでいるため、漆間にとっては恒例行事だった。  雨が降っていた。小雨だ。ときどき車のヘッドライトに照らされれば、降っていると確認できる程度。しかも途中はトンネルになっていたので、つい先ほどまで彼らは意図せず濡れ続けずに済んでいた。  交差点に出る。左折すれば駅だった。曲がろうとすると、綾部が横断歩道を前に止まった。信号が赤だった。駅、こっちだけど。左を指して教えると、んなこと知ってる。馬鹿にしてんのか。暴言が飛び出した。どこか行くの。すかさず質問する。お前には関係ねえ。拒絶されるも、酔っ払いを一人で行かせて何かあったら、すごくあと味悪いから、目的地まで同行させて。負けじと対抗する。それでもまだ意地を張る旧友に、以前酔いが回った身で起こした失敗談を掘り起こした。綾部が気がついたら所持品を盗まれた状態で、道端に座り込んで寝ていた。漆間と飲んだあと、コンビニによると言って、居酒屋で別れたときのことだった。以来漆間はできる限りのところまでは同行してから別れてやろうと決めている。  かつての失敗をさらされ、拒む口が止まった。信号が青になる。 「渡らないの?」 「東雲」  低く吐き捨てた。さっさと横断歩道を渡り始める。束の間、黒ジャケットの背中を眺めてから追いかける。「東雲がどうかしたの?」渡りきって追いつく。 「気になんだよ」 「どうして?」横に並び歩調を合わせる。  かすかな間があった。 「あいつ、同窓会楽しみにしてやがったのに、三日前から連絡が取れねえ」語気は荒かったが、目つきが鋭くなっている。もっと早く行けばよかったんだけどな、と舌打ちまで漏らす。 「別にただ忙しいだけじゃないの。だって今日は東雲以外にもきていない人はいたし」 「あとあいつから、カセット返してもらう約束があんだよ」  漆間は瞬く。「いつ、貸したの?」 「高三」  質問者は眉尻を下げて唇をゆがめる。借りっぱなしのものがなかったか、記憶をたどる。  ずっと真っ直ぐ進んでいたが、三つ目の信号で左折。しばらく進んで右手に現れた明るい茶色のマンションに、綾部、漆間の順に入っていく。目的の人物は三階に住んでいる。三〇二号室。綾部が知っていた。二人は年に一度は飲みに行く程度の親交があった。引っ越しなどの日常生活に何か大きな変化があるたびに近況報告もし合っている仲だ。  ドアの前に立つなり、酔っ払いが乱暴にチャイムを押す。しばらく待つが、反応はない。もう一度押す。ただ中でチャイム音が反響するだけだった。もう一度。やはり物音もしない。  二人は顔を見合わせる。  いないだけなのかもしれないけどね。漆間が努めて素っ気なく横槍をいれる。綾部はスマートフォンで電話をかけた。三コールして、見ているだけだった生まれつき愛想のない顔がさらに険しくなる。呼び出し中の友人をドアの前から引かせ、自らは扉に片耳をあてて両目をつむる。五コール目で急にまぶたが上がった。耳に小型機器をあてている男を振り返り、ドアを指す。「中で鳴っている」 「中?」  留守番電話サービスにつながった。通話を切り、発見者をドアの前から退ける。おい、東雲。呼びかけながら右手でドアをたたき、左手でノブを回す。たたく手と声が止まった。扉が手前に動き、かすかに隙間ができていた。戻す。左に立つ友人を一瞥してから、ドアを引く。動いた。視線を上げる。噛み合う。漆間がうなずいた。  ゆっくりとドアを開く。綾部が先に入る。続こうとする者を手で制した。しかしその手は漆間の手で無理やり下ろされる。振り返った。「んだよ、漆間」 「ここまできて入ってくるなって、少し虫がよすぎないかな」 「黙れ、一般人」顔を戻す。 「綾部、早く先に行って。閉めた方がいいよ」腕で鼻から口にかけてを覆う。開けた瞬間から、彼らの鼻腔をつく臭いがあった。 「お前が入ってこようとしなきゃ、さっさと俺は閉めてたんだよ」靴を脱いで中に足を踏みいれる。漆間が後ろ手でドアを閉めて、顔をしかめた。黒いスマートフォンが、玄関口で転がっている。  廊下を渡ってつきあたった部屋の入り口で、漆間は足を止めた。キッチンと居間が融合したリビングの白い壁にも、床に敷かれたカーペットにも、ソファやテレビなどの家具にも、赤く飛び散っているものがあった。それが何かと認識するよりも先に、目にとまったのは部屋の中央のパイプハンガーから垂れ下がっている、赤いものだった。布だ。何かを包んでいる。  漆間の目には、大きなてるてる坊主のように映った。  マッチ棒の頭薬のように丸みを持たせて、ロープでくびれを作っている。残りの布はロングスカートのように垂れ下がっている。綾部がしゃがみ込んで下から布の中をのぞき込んでいる。手の甲で中がよく見えるように布を持ち上げる。ざけんなよ。つぶやいたかと思えば、舌打ちが漏らされた。立ち上がったとき音楽が流れ出す。ベートーヴェンの「月光」だ。彼のスマートフォンの着信音だった。 「もしもし、なん、はあ?」  先ほどからできていた眉間のしわが一層濃くなる。  漆間が部屋に入る。つり下げられている布の前で立ち止まる。顔をそむけてむせ返った。臭いがもっとも強い。強烈な鉄。 「待て、こっちも殺人事件だ」
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