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 漆間と綾部はマンションの外に出ていた。マンションの駐車場には何台かのパトカーが止まり、警察関係者がとめどなくマンションの中を出入りしていた。規制線の外では人だかりができ始めている。雨の夜だってのに、暇人が多いもんだな。短い髪の後ろに手をやりながら、綾部が漏らす。しっかりとした口調に戻っていた。 「お待たせしてすいません」スーツをきっちりと着こなした、眼鏡の女性が二人の前にくる。無表情だった。目は綾部に向けられていた。「第一発見者、ですか?」 「なんだよ、俺で悪かったな。こいつは、漆間。俺と一緒に遺体を見つけたやつだ」親指を隣の友人に向ける。 「綾部さんから、度々お話はうかがっています」眼鏡のブリッジを押し上げながら、漆間に顔を向ける。「折宮と申します。よろしくお願いいたします」お辞儀。 「ああ、そんなかしこまらなくても。俺はただの一介の国語教師ですから。それよりお若いのに捜査一課なんてすごいですね。唯一の災難は、こんな横暴でさえない中年男と一緒なことですか」 「馬鹿野郎」綾部が言いたい放題の幼馴染みの頭をはたく。 「うわあ、今の暴力ですよ。綾部警部補」たたかれたところに手をあてながら、肩をすくめる。 「馬鹿なこと言ってんな」手で追い払うようにして振る。「それで折宮、事情聴取始めろ」  上司の命令に、わかりました。抑揚を欠いて答えると、手帳を取り出す。二人が話し始めた遺体発見当時の状況を書き込んだ。書き終えると、今度は綾部が現場の状況について尋ねた。第一発見者だったため、自ら警察として最初に状態を確認するよりも、一般市民として事情聴取を受けてから警察として行動すると辞退していたのだ。綾部が漆間に目配せする。しかし漆間は手を前に出す。人差し指を立てていた。「その前に、一つだけ思ったことがあるのだけど」  折宮の口が半開きのまま止まり、綾部は眉をひそめた。「なんだ」  しばらく答えをためらっていたが、刑事の射抜くような眼光で見つめられ続けて目を逸らす。「たぶんあれは、東雲の遺体じゃないと思うんだよね」 「はあ? じゃああれは誰だって言うんだ」 「それは警察の仕事だから」両手を前に出す。「ただ素人目で根拠を言うなら、東雲と本気でけんかしたときの話、したことあった?」 「東雲と? そんな話、あっ、まさか高一のときのか?」  小さく首肯する。  東雲は、グループというものを毛嫌いするタイプの不良だった。いざとなればどこにも属することができる、と言った方が正しい。頭の回転が速く格闘センスも高かったので、どこのグループも彼は即戦力になるとして喉から手が出るほど欲しい存在だった。同時に、不良の風采をした漆間についても、返り討ちにし続けていることで実力が認められ始めていた。東雲にとって、そんな漆間の存在はただの邪魔でしかなかった。  結果、二人の間でけんかが起こることになる。東雲が狙ったのは、標的が一人で下校するタイミングだった。後ろから刃物で襲いかかる。しかし漆間は紙一重でかわし、しゃがみ込みながら振り返り、懐へと一気に距離を詰めて一発腹部にたたき込んだ。相手の顔を確認したのは、立ち上がって地面にうずくまっている少年を見下ろしてからだった。手にしていた凶器は、包丁だった。漆間が近づく。もちろん、奪って没収してしまうためだった。しかし東雲は苦悶の表情を、両目をかっと見開くことでかき消し、自らの脇腹を刺した。驚いた漆間が彼の傍らで膝をつく。刹那だった。叫び声と共に、漆間の肩を刃がつき刺さった。隙を作らせるために自らを刺したのだ。 「結局、漆間が救急車を呼んで助けてやったんだよな。しかも警察沙汰にしないでくれって、頼み込んだって聞いたぜ」綾部がにやにやと笑う。 「周りは殺人未遂だってうるさかったけどね。で、そのときの傷が見あたらなかったんだ。俺の傷の方はまだ肩にうっすらと残っているし、脇腹と肩とで自然治癒に差があるなら話は別だけど」         警察が現場に到着するまでの間に、綾部に頼み込んで布の中を下からのぞいていた。四肢のない胴体を確認している。 「その傷ならたぶん、タトゥーにしてたやつだな。お前との戦いでつけられた栄光を、醜い傷で残すよりかましだって十年前くらいだったか」  え、綾部見たの? 漆間が顔を引きつらせる。あいつが勝手に見せてきたんだ。見たくて見たんじゃねえよ。対して同じように顔をしかめて、抗議する。 「じゃあそのタトゥー。どういうのかは知らないけど、なかったよ」 「ああ、確かになかったな。ちなみに星だ」 「だとすると、少し時間がかかりそうですね」折宮が神妙な面持ちで口を開く。 「もしかして、顔は潰されて指紋とかが消されていましたか?」  漆間の問いに、女性警官はかすかに目をみはった。「遺体をきちんとご覧になったんですか?」 「ああいや、あなたの言い方からしてそうなのかな、と思っただけで。まあでも、ちゃんと顔も手も足もあったんですね。ひとまずはよかった。とりあえず、第一発見者とはいえ一般人がここに居続けるのは捜査の妨げになる気がするので、もしもう質問もなければ帰ってもよろしいでしょうか?」 「ええ、はい。ご協力ありがとうございます。またお話をうかがうことがあると思いますが、そのときはまたよろしくお願いします」頭を下げる。 「あっいえいえ、こちらこそ。そうだ綾部、ここの近くだよね? 榎本の家って」 「あ? なんだ、いきなり」 「今日、彼女に本を返してもらう予定だったから。カフカ」 「いや、やめておけ」目を逸らす。  漆間はしばし黙り込んでから、事件、とつぶやく。綾部の目が戻り、折宮は眼鏡のブリッジを押し上げた。二人の視線に気がつき、手を前に出してぎこちなく笑う。 「電話で、綾部がこっちもって言っていたから、もしかしたら別のところでもあって、止められたから榎本の家かなって」  しどろもどろに説明する。綾部が顔面を手で覆い、深くため息をついた。 「お前、今度は読心術でも体得したのか」 「心外だよ」  顔から手が離れる。「だからって情報は流さないし、今の榎本の家は高崎だ」  高崎は館林からだと電車を使わなければならない。 「それは残念だな」わざとらしく肩をすくめる。とりあえず頑張って。言い残して野次馬の中に消えていった。
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