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帰りの会も掃除も、あるようでないようなものだった。帰りの会が始まる頃にはごく一部の真面目な生徒しか残っていない。掃除が始まる頃には部活動が始まっている。
「綾部、倉坂とけんかでもしたの?」
玄関で靴を履き替えながら、漆間が気だるげに尋ねる。るっせえ、と向かいの下駄箱から文句が飛ぶ。綾部は三組だった。
「最近けんか多いよな。まあ、あんな美人とけんかする日々なら本望かな」
「思ってもねえこと言ってんじゃねえよ。棒読みだぞ」
校庭の前を通過し、駐輪場へと向かう。晴れていた。雲もほとんど見あたらない。夏の蒸し暑さは、夏季休業を終えても、まだ根強く居座り続けている。九月七日。秋は着々と迫っている。
倉坂は結局、色葉と暇をつぶしに行くことになった。漆間がそのことを話すと、クラスメイトの彼氏は苦虫を噛み潰したような顔をした。嫉妬というよりも、仲直りをするのが大変だと思ったに違いない。
一番近くで彼らの関係を見てきた漆間には、この恋人たちの間に嫉妬という概念が存在しないことを知っている。だが、記念日などは恋人らしくしている。去年の綾部の誕生日には彼女から、熊のぬいぐるみが渡され、倉坂には彼氏から、お菓子が渡った。
しかし漆間以外誰も知らないのは、彼らがこういう大切な日には互いに時間を割き、他人を寄せつけない挙句、そういった事実を公表しないからだ。ではなぜたった一人知っているのかといえば、二人とも相談役に同じ人物を選んでいるからであった。
「そういや」綾部が話題を変える。「慶さんが最近林藤に変わったことはないかって訊いてきたぜ」
「慶さん? 妹のことなんてどうでもいいとか言ってそうなタイプだと思ってたんだけど。シスコンにでも目覚めたのかな」
「失礼なやつ」
「冗談」
駐輪場についた。それぞれに自転車のところへと散る。クラスごとに置き場所が決まっているが、守られていない。一番校舎に近い側に自転車がひしめき合っている。二人は比較的後ろの、五、六組の駐輪場を使うようにしていた。
裏門の方から出ていく。駅に向かうならば正門から出ていった方が早いのだが、彼らは裏門の側に家がある。しばし雑談をしながら走っていると、急に綾部が止まった。信号のない、細い交差点だった。漆間も遅れてブレーキをかける。どうかしたの。尋ねても一点を見つめていて返事がない。視線の先を追う。左方に秀栄高校の制服を着た男女が歩いていた。七人だ。顔までは見えない。舞。綾部がつぶやいた。突然ハンドルの向きを変える。横から肩をつかんで止めた。
「他に誰がいたの」
「宇津美と若林、以下略」
漆間は手を離した。代わりに同じ方向へ舵を切る。宇津美源と若林春彦の名前が並び、かつ倉坂舞がいるときは不吉なことがあると決めつけていた。以前、倉坂は二人に襲われかけたことがある。
途中のコンビニで自転車を止めて、二人は同級生たちの尾行を始めた。七人の男女は駅まで行くと、電車を乗り継いで羽生まで行く。バスロータリーを抜け、住宅街に入り十分ほど歩くと、大きな構えの家に入っていった。黒い門の奥に、車庫と家が隣に並ぶように建てられている。車は二台しか入っていなかったが、空いているスペースにもう一台入りそうだった。ベンツとアウディがすでに収められている。
「誰の家だろう」漆間がカーテンの閉まっている二階の窓を見上げる。家の真横に立っていた。
「若林あたりじゃないか。親が銀行員だしな」
「だったら本当に嫌な予感しかしないけど、中だと止める方法がない」
「乗り込む」
進み出ていこうとする昔馴染みの肩を後ろからつかんで止める。「勇敢さは評価するけど、何の証拠もない状態で勢いに任せて乗り込めばどっちが悪いかくらいわかるでしょ」
しばらくお互いに睨み合っていたが、苛立っている方が舌打ちをして目を逸らした。つかむ手を力ずくで振りほどく。それ以上のことはしなかった。漆間はもう一度窓を見上げる。しばらく待ってみよう。提案した。
約十分が経ち、玄関から誰かが飛び出していった。倉坂だ。走って駅の方へ向かっていく。尾行者は互いに顔を見合わせてあとを追った。
綾部が倉坂の腕を後ろからつかんだのは、駅を前にしたときだった。何があった。強めに問いただす彼氏に何度か瞬きをしてあっけに取られていた。遅れて漆間に目を投げる。カップルから距離を取ってスマートフォンをいじり出していた。倉坂は目を明後日の方向に飛ばす。んーと、その、えーっと、と言いよどむ。責めるように同じ質問が飛び、少女の肩が跳ねる。視線が地に落ちた。それでもすぐには答えなかった。
「変なことだよお。なんかね、ちょっとおかしいよ、みんな」声は上ずっていた。「なんか、ほのかがのけ者にされてるし、その、えっと」
「もういい」いつになく柔らかい声音で、不器用に頭をなでた。
目だけでひそかに様子をうかがっていた漆間が薄く笑みを漏らして、そっと離れる。きた道を戻っていった。
一同は二階の一室で円形になっていた。窓にカーテンが引かれており、まだ日が昇っているというのに薄暗い。きれいな部屋だった。部屋の左隅の勉強机の上にはスタンドライト以外のものがない。右隅の本棚にも何も入っていない。その手前にあるベッドの上にはめくれている毛布と茶のブランケットがたたんで置いてある。
漆間はメールで若林にコンタクトを取っていたのだ。羽生にいる旨を伝えると、若林が喜んで家に招いてくれることになった。詳細の地図が送られてくると、綾部の推測の裏が取れた。危惧していたことは何もしていなかった。ただ集まって、彼らにとっては他愛もない話をしているだけだ。どこの不良グループが強いやら、麻薬の密売人らしき人と会ったやら、煙草が吸いたいやら。
だが、漆間は一つ妙なことに気がつく。林藤の話題が主導権を握ることはない。いざ話そうとすると、誰かがさっさと話題を転換するためのネタを持ち込んでくる。他にもそれぞれに紙コップに入った飲みものが用意されたのだが、林藤の分だけがない。要領を得ない倉坂の言葉を思い出す。
十九時には解散になった。
林藤への対応は、学校では何のこともなかった。みな彼女の話をきちんと聞いているし、輪の中に積極的に取り込もうとしている。しかし、それから二度ほど倉坂をのぞいた六人と放課後に遊んだ漆間、綾部は、林藤が徐々にあからさまにグループの中で対等ではなくなっていく姿を見ることになる。
漆間と綾部は少しずつ彼らと距離を取った。一週間後には学校以外で遊ぶことは愚か話すこともなくなっていた。
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