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「異世界行きたーい!」
千晶が堤防の上から海に向かって、思い切り叫んだ。
真夏の日差しが水面を照らし宝石のように輝いている。磯の香りを多分に含んだ潮風が、千晶のショートカットの髪と白いスクールシャツ、緑のプリーツスカートをはためかせながら通り過ぎて行った。
「いきなり何を言い出す、千晶」
千晶と同じ学校の制服を着崩した直哉が、堤防に登っている千晶には目もくれずにスマホの画面をスワイプしながら呆れ気味に返す。
「えーだってさ、異世界って行くだけでチートスキル付与、無双無敵の俺ツエーになれるんだよ? 最高じゃん」
眩しそうに海を眺めたまま千晶は陽気に、男子中学生のような願望を恥ずかしげもなく言い放った。
「そんな都合のいい話ある訳ないだろ」
スマホから目線を外さず、直哉が無慈悲な現実を突きつける。
「しかも女の子にモテモテ、チョロインでハーレムの山! 最高じゃん?」
「そんな都合のいい話ある訳ないだろ」
聞こえないフリをして続けた千晶だったが、直哉は一字一句変えず再び突き放した。
「なんだよ、釣れないなー。ちょっとは話合わせてくれてもよくない? 今のも『おい、女が女にモテてどうすんだ』ってツッコミ待ちだったんだけどなー」
我慢比べに根負けしたように千晶は不満げな顔で直哉の方へ振り返った。
その気配を察知したのか直哉も千晶を仰ぎ見る。
「人の嗜好に口出すほど野暮ではないからな」
二人はしばし見つめ合い、微妙な空気が流れた。
「いや違うからね?」
千晶が目の前で軽く手を振って、その空気を掻き消す。
「でも実際男子の太い声援より女子の黄色い声援の方が気持ち良さそうだよねー」
「分からん……でもない」
直哉の素直な返答に千晶が意地悪く笑う。
「ふっふー、なんだかんだ言って直哉も男の子だねー。お固いだけかと思ってたよ」
「いきなり下ネタか」
意味が分からず暫し目が点になっていた千晶だったが、ようやく理解したのか「はあっ?!」と叫んだ後、恥ずかしさを誤魔化すように喚き立てた。
「そこツッコまなくていいから! うわ、最低。セクハラセクハラー!」
「お互い様だろ」
肩を怒らせた千晶の非難を一刀両断し、直哉は再びスマホに視線を落とした。
直哉の反撃にあえなく撃沈した千晶は、力なく崩れ落ち堤防に座り込んで膝を抱えていじけ出した。
「うう、夢くらい見させてよー。妄想くらい笑って付き合ってよ、元気だけが取り柄の千晶ちゃんなんだよー」
「そんな都合のいい話ある訳ないからな」
涙声の千晶に直哉はなおも容赦ない一言を浴びせる。
「第一、女子なら所謂『溺愛系』の方が憧れるものじゃないのか」
「んんー、いまいちピンと来ないんだよねー。恋愛にあんま興味ないってのもあるけどさ、人任せにしたくないと言うかなんと言うか。欲しいものは自分で取りに行く! みたいな?」
「気持ちいいくらいの脳筋だな」
「照れるなー」
直哉の皮肉を素直に受け止めて嬉しそうに千晶が笑う。
「そして底抜けの楽観主義者」
スマホを持った右手を下ろした直哉は軽いため息を吐くと、千晶の方へ顔を向けて噛んで含めるように言い聞かせる。
「なら尚更だ。いきなり与えられた力なんぞ使いこなせる訳がない。ましてや異世界といえど、行けば所詮そこが現実だ。色々なしがらみや制約はついてくるし、不自由極まりない。今と何も変わらん。千晶も覚えがあるだろ」
「うっ、そ、そうだけどさ。あーあ、直哉って悲観論者だよねー」
「現実主義者と言ってくれ」
諭された千晶が精一杯の嫌味を言うが、直哉は気にする様子もなくそれを軽く受け流した。
「直哉はさ、今と違う環境だったらって考える事ないの?」
「ない」
「はいはい、ハイスペ男子だもんね」
「違う。何故なら――」
その時、直哉のスマホから何かを知らせる通知音が流れた。
「そろそろ行こうか」
スマホの画面を一瞥して直哉が千晶を促す。
「だね、でも名残惜しいなー」
千晶が堤防から飛び降りた次の瞬間、二人の目の前の空間が裂けてゲートが現れた。
「平和な日本って初めてだったから」
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