瑠璃の王宮

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瑠璃の王宮

 百年前に逃げた神判の花嫁はミュゼの先祖だ。  逃亡後、彼らはひっそりと隠れて暮らした。祖母も母もオメガには生まれなかったが、そもそも王族のメンツを潰して逃げた一族だ。見つかれば、どんな罪に問われるかわからない。一定の場所に長くは住めず、ずっと逃れるように転々として暮らすことになった。  もちろん、仕事も安定しない。ミュゼはまだ幼く、ほとんど覚えていないが、身元を問われない採石場で働いていたミュゼの両親は、ふたりとも崩落事故で死んだ。  とにかく目立たないように、目立たないように、ひっそりと暮らしていたある日、ミュゼの瞳にオメガの証が現れてしまった。  天色と金色、半分ずつの光彩を持つ、ダイクロイックアイ。  それからは学校に行くのもやめ、市場とのやりとりもすべて祖母がやってくれた。  今回の納品も「明日元気になったらあたしが行くから」と言っていたのに、役に立ちたくて出てきてしまったのは自分だ。大きな病気などしたことがない祖母だったが、寄る年波にはどうしたって勝てない。なんでも任せきりにするのは心苦しかった。  ――その結果が今なわけだけど。  ミュゼは乗せられた荷馬車の隅の隅で、ぷるぷると震えていた。手首は縄で拘束されている。  あのあと、司祭はミュゼを礼拝堂の一室に閉じ込めた。ほどなくしてやってきた兵士たちに、抵抗しなかったわけではない。けれど相手は元々能力的に優れた山猫族の、さらに鍛えられた男たちだ。  ミュゼなど、ひょい、と首根っこを掴まれて、それで終わりだった。  華奢な体に白い肌、少女のような顔立ちだからと言って、男の矜持がまったくないわけではないから、これにはへこんだ。  申し訳程度に水とパンは提供されていたが、とても喉を通らない。  馬車が停まったのは、四日目、意識が朦朧としてきたころだった。 「おい、降りろ」  一応声はかけたものの、ミュゼの自発的な動きなど初めから期待していなかったのだろう。また首根っこを掴まれて運ばれた。  もうどうとでもして欲しい――無気力にだらんとしていたミュゼだったが、王宮内に入ると、目を瞠らずにはいられなかった。  高い外壁は暮らしていた村と変わらない白茶の石造りだったのに、王宮の内部は鮮やかな青や緑のモザイクタイルで埋め尽くされていたからだ。  アーチ形の窓の縁は金銀の箔で彩られている。中庭の中央には大きな噴水から絶えず水が流れ出ており、十字に切られた水路に繋がっている。水路に反射した日差しが、タイルや金銀箔をいっそう煌めかせる。建物に色のない世界からやってきたミュゼには、別天地のように思えた。  囚われの身でありながら見とれてしまっているうちに、王宮の最奥まで連れて行かれる。ここまで連れて来た兵士たちとは別の、お仕着せを身に着けた護衛の者たちに引き渡された。 「これが〈神判の花嫁〉?」  これとか言われた。  勝手に連れて来られた上に。 「動かぬ証拠があるだろう」  髪をひっつかんで、顔を上げさせられる。護衛の兵士は、ミュゼのダイクロイックアイを確認すると納得いかない様子ながらやっと引き取る。連れて行かれたのは、大広間だった。見間違いでなければ、柱の装飾のところどころには宝石も使われているようだ。  毒になる物も多いから、山猫族はあまり花々を珍重せず、代わりに宝石を好む。そう聞いたことがあったが、どうやら本当だったようだ。玉座には立派な髭を蓄えた体格のいい男が座っていた。  おうさま。  馬車で三日三晩も離れた村の、さらにその山奥で暮らしていたミュゼが王の姿を見るのはもちろん初めてだ。  ――でも。  服装や体格の立派さに比べ、表情に覇気がない。白いものが混じり始めた眉毛で、眼窩が陰になるからだろうか。眼差しは虚ろで、どこを見ているのかもはっきりしない。ミュゼの脳裏を、市場のおかみさんの話がよぎる。 『やっぱり王様が――』  心なしか敵意を持った目で見られている気がして、ミュゼは俯いた。俯いた先の床のモザイクさえも手が込んでいる。目が回りそうだ。  そもそも、家猫族は環境の大きな変化を好まない。神判の花嫁の一族だとわからないように土地を転々とした際にも、幼いミュゼは必ずお腹をくだした。一度など、高熱が出て何日も寝込んだ。突然さらわれて、こんな王宮に連れてこられて、知らない人がいっぱいいる。それだけで消耗してしまう。  ――すみっちょ、早くすみっちょに逃げたい。  しきたりを破って逃げた一族の末裔として、罰を受けるならそれでもいい。とにかく一旦薄暗くて狭いところにぴったり挟まりたい。そんな願いもむなしく、アーチを描いた両脇の入り口からまた新たに人が入ってきた。  ――また誰か来た。  怖くて、苦しくて、息が上がる。兵士がそんなミュゼの白銀の髪を掴んで、無理やり面を上げさせた。  どうやら、あとから入ってきたのは王の息子たち――つまり、王子のようだった。 「第一王子、ルズガル」  王が呼ばわるその王子の印象は「黒」。襟足を長く伸ばした髪。一見して鍛えてるとわかる、引き締まった体に纏う滑らかそうな天鵞絨の服。片目を隠すように覆った布。すべてが黒い装いは、金銀宝石で彩られた宮殿の室内で、ひときわ威圧感を放っていた。唯一瞳だけが金色で、ときおり赤い遊色がよぎる。思わず見とれていると、それに気が付いたのだろう。冷たく一瞥の後にあからさまに逸らされた。――怖い。 「第二王子、ヤプシ」  一方、次いで紹介された王子は、ミュゼににこりと微笑みかけてくれるから、ミュゼもつられてぎこちなく笑みを返した。――い、いいひと? 淡い金髪の髪を腰の辺りまで伸ばして後ろでひとつにくくっている。身に着けているのは、ルズガルとは対照的に、この国古来の民族衣装に近い、ゆったりとした長衣。薄紫の生地は、彼の灰色の瞳にもよく似合っている。ルズガルが武人なら、こちらは文人。優雅に絵でも描いているのが似合いそうだ。  玉座の王が、ミュゼに告げた。 「お前には、これから二十日間、一晩ずつ交互にこの二の王子と交わってもらう」  ――家猫族は、大きな環境の変化を好まない。  ミュゼは、その場で気を失った。
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