王子ルズガル

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王子ルズガル

 のだが。 「まずはルズガル様の夜伽を務めて頂きます」  その夜、迎えに来た女官はそう告げるや否や、ミュゼを風呂にぶちこんだ。体の隅から隅まで洗われそうになったときには、必死で抵抗し、ぎりぎりのところで尊厳は保たれた。が、突然のことにぶるぶる震えるその姿は、まさに水たまりに落ちた仔猫のようだった。 「顔色が悪い」  女官長らしき年配の女性の眼差しは厳しい。少しでも見栄えを良くしようと思うのか、ミュゼに香油を塗りたくってマッサージを施した。それから薄手の長衣を羽織らされる。まるでなにも着ていないかのように軽い。  すーすーする……し、これって、あんまりにも。  このあとの行為を連想し、ミュゼは赤くなったり青くなったり、百面相をくり返した。  逃げられるとはもちろん思っていなかった。けれど、どうせ怖い思いをするなら、最初にきちんと話をしにきてくれたヤプシから、という気持ちがある。 なのに、あのなんだか怖いルズガル様が相手だなんて。  ――まあ、第一王子なんだから、順当にいったらそうなるのかもしれないけどさ。  行為のための部屋は、王宮のさらに奥の奥、八角形の塔だった。やはり内部は贅沢に整えられている。壁面のタイルは群青をふんだんに使っていて、ドーム型の天井にちりばめられた宝石は星空のように見えた。  その真ん中にしつらえられた寝台にひとり残され、ルズガルを待つ。  この先行われることのだいたいのあらましは女官長から聞かされていた。一晩ずつ交互にふたりの王子と交わる。抜け駆けして首の後ろを噛むのは禁じられている。その上で『王子様方がすべて心得ておりますから、すべてお任せになればよろしいかと』と言われていたが、全然よろしくない。  こわいこわいこわいこわいこわいすみっちょに逃げたい。  震える足を拳で押さえてどうにか堪えていると、ぬっとルズガルが現れた。 「――」  先触れがあるものと思っていたのに、黙って入ってこられてびっくりする。 ルズガルもまた湯を使ったようで、薄手の長衣に着替えていた。くだけた格好になったことで、余計に、仏頂面と左眼を覆う布が目を引く。 「――見るな」  ルズガルの口からミュゼに対して初めて紡がれたのは、そんな言葉だった。 そりゃ、見ちゃってたけどさ。仮にも〈花嫁〉に、そんな態度ある!? ヤプシの態度とは大違いだ。  やっぱりこの人、おれのことが嫌いなのか。  百年前まで家猫族のオメガに無体を強いていたのはそっちなのに。今回だって、有無を言わさずさらって来たくせに。 恋も愛もわからない、誰とも番うことなど許されない自分だ。好いた相手と結ばれたいなんて願望は持ったこともなかった。だからこそ、祖母の安全のため、我慢するくらいできるかも知れないと思っていたけれど。  ――やっぱり、このまま言いなりになんかなれない。  寝台から飛び降りて逃げようと思ったが、ルズガルの動きは素早かった。あっという間にのしかかられ、両腕を寝台に押さえつけられてしまう。 「無駄に暴れるな」  短く告げる言葉は冷たい。  無駄って。そりゃ、本当に逃げられると思ってたわけじゃない。だけど、ばかにされるのは嫌だ。  身をよじっても、力ではかなわない。かろうじて顔を背けたとき、首筋を舐め挙げられた。 「ふあ……っ!?」  嫌なような、怖いような、でもむずがゆくて気持ちいいみたいな衝撃が、体を突き抜ける。ミュゼを見下ろしていた金色の片目が、わずかに眇められた。 「え……? あ、お、おれ、しっぽ、みみ、も」  知らない間に我が身に起きていた異変に、ミュゼは愕然として呟いた。  家猫族は、心身が不安定なときと、発情期くらいしか獣化しない。それももう顕著な例は少ない。現に祖母も、風邪くらいでは獣化していなかった。血の中の獣がどんどん薄れていっているのだ。それはミュゼも同じだと思っていたのに。 「おれ、は、はじめて……」 「感じている、のか?」 「ちが……っ!」  違う。いや違うのかどうかわからない。だってずっとひっそり生きてきて、こんなふうに他人と触れ合うのは初めてだから。  けれど体のどこか奥深いところが、じんじんと疼いているのはたしかだった。  なんで、おれ、こんなことになっちゃってんの?  よりにもよって、乱暴なルズガル様相手に。  ルズガルは金色の片目を細めると、再びミュゼの首筋に顔を埋めた。ざらりとした舌で首筋を何度もなぞり、獣になった耳朶を甘噛みする。ついさっきまで自分の体になかった部分なのに、感覚は鋭敏で、耳の穴の中に舌を差し入れられたときには、さっきよりも大きな悲鳴が飛び出してしまった。 「あ、や、やだ……やだあ……」  嫌だ。嫌だしくすぐったい。そう思っているはずなのに、体から抵抗する力はどんどん抜け落ちていく。ほとんど泣き声になってしまっても、ルズガルの耳にはなにも届いていないようだった。吐息はどんどん荒くなる。 ルズガルは、ミュゼが身に着けていた長衣の前を乱暴にはだけた。  やせたミュゼの胸に、野苺のような乳首がふたつ。ミュゼは自分の乳首がそんなふうにぷっくりと立ち上がっているところを初めて見た。血流が集まっているのか、じくじくと痛い。  ルズガルの粗い吐息が耳元で聞こえなくなったと思ったら、じゅっときつくそこを吸われた。 「ああ……っ!」  手首はきつく押さえつけられたままなのに、背中が浮いてしまう。その浮いた背をルズガルの腕が支えて引き寄せる。ぐっと距離が縮まり、いっそう強く乳首をしゃぶられた。 「やあっ」  じゅぶじゅぶ。まるで肉を喰らう獣が立てるような音を立てて舐めしゃぶられる。恐ろしいはずなのに、その音は獣化したミュゼの耳を淫らにくすぐった。 ときにはきつく吸い、すっかり育った先端を舌先でぐりぐりと抉られる。片方を愛撫している間に、もう片方は指先でひっかくように責められる。 「んん……っ」  身悶える足の間に、いつしかルズガルの足が入り込んでいた。膝頭をぐりっと当てられた箇所からまた別の快感が背骨を這い上がり、ミュゼの体はびくっと強ばる。 ルズガルは乳首を交互に愛撫しながら、膝でミュゼの中心を弄ぶのもやめなかった。 「しっぽ、の、付け根、が、じんじん、する……っ!」  ただでさえ生まれて初めての獣化で戸惑っているのに、どこよりもその場所が感じていることが、不可解でたまらなかった。熱いような、むず痒いような、こんな感覚は初めてだ。  ふと、ルズガルの荒々しい吐息が遠くなった。  と思うと、ざらっとした舌が脇を舐め、薄い腹を舐め――下帯の上から甘噛みされて、ミュゼはまたしても「ひゃっ」と悲鳴を上げる。  なにこれ。なにこれ。怖い――  ぎゅっと目を閉じたところで、ルズガルは行為をやめてくれない。はむはむと甘噛みをくり返していたかと思うと、いつの間にか下帯を取り払われてしまった。  ミュゼの胸の内の戸惑いとは裏腹に、昂ぶりは、ぴんと反り返っている。  ルズガルは、そこを根元からぞろりと舐め上げた。 「んん……っ!」  先端に朝露のような先走りがぷっくり滲むと、ルズガルは躊躇することなく吸う。添えた手を上下させながら、淫らな間欠泉を舌先でぐりぐりと抉った。 「あっ、や、やあ、だめ」  体の下で、尻尾が勝手に揺れてしまう。頭から尻尾の先まで、ルズガルに施される愛撫によがっているようで、恥ずかしい。 「なにがだめなんだ?」 「だって、こんなの、変……」 「感じていることがか?」  怖いのに。初めてなのに。耳も尻尾も、今まで感じたことなかったのに。全部をうまく言葉にできるほどもう余裕がない。こくり、と頷くと、ルズガルは言った。 「なにもおかしなことじゃない。おまえはオメガ――神判の花嫁で、俺はアルファだ」  言うが否や、再び口に含んで、口淫を激しくし始めた。 「ああ……っ!」  ルズガルの口の中は、熱い。激しい。それでいてときおりやさしく、緩急をつけて責められるのだからたまらない。未熟なミュゼは、すぐに限界を迎える。 「や……だ……、もう……っ」  耳も尻尾も、ミュゼの意思に反してぴくぴく落ち着かない。首を振ってよがる度、快感の涙が頬を伝った。 「あ、ま、待っ、もう、なんか、」  ぎゅうっと引っ張られるような感覚があって、ミュゼは震えた。 「出ちゃう……お口に、出ちゃう、から……!」  必死で告げたのに、ルズガルは口淫をやめるどころか深くする。 「や、やあ……!」  ミュゼは、ついにルズガルの口の中に白濁を放った。  出、出ちゃっ……  涙でぼんやりとした視界の中で、ルズガルの喉が蠢くのが見えた。次の瞬間、ルズガルにも耳と尻尾が現れていることに気づく。  この人も、欲情してる……?  出会ったときから、ルズガルはミュゼからあからさまに目を逸らした。それにヤプシは言っていた。『百年も前に廃れたしきたりのために』と。そこには『しきたりのために仕方なく』という響きがあった。  それはそう、だよね。  つい最近、水害が増えるまでは、王が神判の花嫁でなくとも大きな問題は起きていなかったのだ。この王子二人も、滅びたしきたりをいまさら蒸し返されるとは思っていなかっただろう。  王子なのだから、本来なら好きな相手と好きなように交わることができる身の上だ。オメガとはいえ、こんなみすぼらしい田舎の男をわざわざ抱かなくてもいい。そもそも山猫族は家猫族を格下に見ている。ヤプシのような態度のほうが稀だ。  だから、ルズガルがずっと仏頂面なのは、自分と交わるのがよっぽど嫌なのだと思っていたのに。  交わることは本能だから?  それとも、やっぱり他を押しのけて王様になりたいから?   性的に興奮したことも初めてなら、政治に疎いミュゼには、どちらの答えも見つけられない。  射精後の倦怠感で動けない体に、ルズガルがのしかかってくる。耳を、首筋を、鎖骨を、胸を、とにかく手当たり次第に舐められる。一度達した体は敏感になっていて、ミュゼの体は簡単にもう一度高められていく。ルズガルの激しさは、まさに野生の獣のようだった。  やがてルズガルの唇が、ミュゼの唇をふさぐ。 「ん……っ」  すぐに舌が入り込んできて、ミュゼは戸惑う。ミュゼの乏しい知識の中の口づけは、唇と唇を重ね合わせるだけのものだ。 こんなやり方があるなんて、知らない。 そして激しい口づけの合間、ルズガルの吐息に切なげな呟きが交ざった。 「ずっと……こうしたかった……」  ずっと? こうしたかった?  呟きの意味が、ミュゼにはわからない。  ルズガルと自分は、今日初めて会ったのに?  ああ――そんなに王様になりたかったんだ。  初めて味わう快楽でとろんとした頭で、どうにかたどり着いた結論。 この人たちは神判の花嫁を長年探し続けていて、孕ますことができたなら、自分の力を知らしめることができるから。  ルズガルの舌は怯えるミュゼの舌を搦め捕り、きつく吸う。どうしてそんなことが気持ちいいと感じるのかわからないままミュゼは感じてしまう。頭の芯がぼうっとして、ルズガルの呟きを本当に聞いたのかどうかもわからなくなっていった。ただ耳がぴくぴくと動いてしまっていることだけ感じる。  不意に、ルズガルの体がぴくりと強ばった。  ――どうしたんだろう。  とろんとしたまぶたを押し上げて、ミュゼはルズガルの片目が驚いたように自分を見ていることを知った。  見えないけれど、感じる。  自分の尻尾が、ルズガルの尻尾に絡んでいることを。  尻尾は、すす……っと、ルズガルの天鵞絨のようなすべすべした尻尾の被毛をなぞり、先端の、すこし折れたところで絡まる。そして、やさしく撫でるような動きをくり返した。  自分自身の制御を離れた動きに、ミュゼは目を見張る。  やめなくちゃ。  だってこれじゃまるで。  誘ってるみたいだ――  そう思うのに、見つめ合ったまま、やめることができない。 「……ミュゼ」  やがてルズガルが、苦しげな吐息と共にミュゼの名前を口にした。  ――このひと、おれのなまえ、知ってるんだ。  ここに連れて来られてから、女官たちはミュゼのことを〈花嫁様〉と呼んだから、なんだか名前を失ったような気がしていた。王になるため、便宜上交わらなければならないだけのルズガルが、ミュゼ個人の名前を把握していることに意外な感を覚える。 ルズガルが自分の名前を口にする、その響きには、なにかこみ上げるものがあって、ミュゼは初めて正面からルズガルの顔を見つめた。  金色の瞳は、やはり赤い遊色が美しい。ヤプシの灰色の瞳も美しいが、ルズガルの瞳からは、強さが感じられた。もうとっくに野性をなくしたはずの家猫族の自分がそんなことを感じるのは、欲情しているからだろうか。  触れたい。  初めて自分からそう思った。  思ったときにはもう腕が伸びていて、ミュゼはルズガルの頬に掌で触れた。 ルズガルは一度も目を逸らさないまま、ミュゼの掌に頬を寄せる。  言葉はなにも交わさなかったのに、望む反応を返されて、ぎゅん、と胸が引き絞られるように痛くなる。  同時に、目を覆っている布があらためて気になった。  傷を負っているのだろうか。王子様なのに? なぜ? いつ? 身支度を調えながら女官たちが言っていたところによると、ルズガルもヤプシも自分よりふたつ上。ミュゼが覚えている限り、近年大きな戦はなかったはずだから、戦によるものではないだろう。   傷に触れたい、と思ったのは、好奇心というよりは慈愛の気持ちだった。  王族というなに不自由ない身分に生まれながら、なぜそんな傷を負っているのか。事情はわからないけれど、触れて、慰撫したい。そんな気持ちだ。  さっき、伸ばした手にルズガルが頬を寄せてきた。甘えるような、すべてを委ねるような仕草。あのとき、ぎゅん、と胸が痛くなった。急速に距離が縮まって、だからこそ感じる痛みのように思えた。  制御の効かない尻尾のように、感情もまた生まれて初めての感覚にとらわれていた。衝動につき動かされるまま手を伸ばす。  だがルズガルは、その手を振り払った。 「――ッ!」  ミュゼの手の甲に鋭い痛みが走り、さっきまでたしかに存在したはずの穏やかな空気が霧散する。  純白のシーツに、ミュゼの血が飛び散った。
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