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枷で拘束された両手首と両足首が、ベランダの手すりに吊るし上げられている。目隠しをされ仰向けの状態で首を反らせ、声にならない呻き声を発するかのように半開きの口を震わせるのを、接写した。捕獲された獣のような姿をビデオカメラの前に晒す。ベランダの柵と平行に二点で吊られた肉体。背中が下についているとはいえ、苦しそうに尻をひくつかせる様子をレンズは追う。
プレイはみなもが人間であることを奪っていくが、みなも自身が人間の毛皮を自ら剥ぎ取っているようにも思える。
まずは片手、そして片足の枷を手すりから外してやる。人間の肢体は想像より重く、スムーズにはいかない。少しばかりの解放に、みなもは深く息を吐いた。それから片足のニーハイソックスを脱がし、みなもの顎を掴み口の中に無理やりソックスを押し込む。みなもは苦悶し顔を歪ませ、身を震わせる。
まだ半身が吊られた状態では、なす術がないように見えるが。片手は既に自由だ。残りの拘束具を自力で外そうとすれば外せるが、そうしない。この映像の中では禁止されている。みなもに許されているのは、閲覧者の性欲に応えることだけ。
みなもは既にこの調教から快楽を感じ始めていることを示すように、太腿を震わせる。この先どうしたらいいんだっけな。岡井は側に置いた構成表を確認する。もう片方の手枷を手すりから外し、再び両手首を繋ぐ。そして腋が見えるように腕を頭の上に伸ばしてやる。手持ちのビデオカメラを三脚に固定し、強制的に大きく開かれた脚と下腹部を震わせる様子をフレームの中心に合わせる。
拘束の仕方も、白のスクール水着と白のニーハイソックスも、全てが岡井のリクエスト通りだ。みなもちゃんにしてみたいことを何でもして良いと荘野が言ったから。
片脚だけが吊られたまま、みなもは放置されている。耐え難そうに首をゆっくりと振ったり、少し背中を反らせたり。吊られた爪先を震わせたり。
うっすらと乳首が立っているのがわかる。興奮して立っているのではなく、単純に戸外で寒いからだろう。わかってはいるけれど。
そして、まるでダムが決壊したように、ベランダのコンクリートへ一気に流れ出す。排出された水は広がって、ゆっくり染み込んでいく。その間もずっとみなもは拘束されたまま。少しもがいてみるも、すぐに抵抗を止めてしまう。
『お漏らししてパンツびしょ濡れのまま放置され続けて絶望したい』
みなもが自分でSNSにそう書いた通りにしてやるのだ。
詰め物によって制御された呼吸と、呼吸をするたびに上下する腹。玩具で遊んでいるのではなく、生きている人間を玩具にして楽しんでいると自覚させられる。生きた人間だからこそ苦しみもがき、失禁している。
何も手を下してもらえない。ただ放って置かれて、でも無視はされていない。カメラがそこにあり、大勢がみなもが受けている恥辱を鑑賞している。視線で犯されている。
転がされた肉体はまだ新しい苦痛を与えてもらえるのを待っているが、一向に与えてもらえないという苦痛も味わってもいる。そして、もっと与えてくれていいんだよ? と挑発しているようにも見えてしまう。そんなのこっちの勝手な思い込みだけれど。
力なく投げ出された手足の拘束具を、元のようにベランダの手すりに吊るしてやる。解放されることなく、ふりだしに戻される。みなもは喜んでいるのか怯えているのか、或いは絶頂に達しているのか。肢体をびくびくと震わせるので、カメラを近づける。そして突如がくんと首が重力に引かれるままに垂れ下がり、強張ってた筋肉と意識が完全に蕩けてしまった。カメラはゆっくり下半身から顔までを追う。涎まみれのソックスを口内から抜いてやるが、大きく口は開かれたまま、ぐったりと動かない。本物の、仕留められて吊られた獣のように。それでも放置され続けるみなもをカメラは映す。台本通りに。岡井が望んだ通りに。
ハートやキラキラとした絵文字で飾られた、
『いっぱい調教してもらえた!!!』
というコメントと共に、映像がアップされた。編集版は月額有料会員制サイトへ。ほぼ完全版はダウンロード販売サイトへ。数秒の動画といくつかのキャプチャ画像だけを、誰でも見れるSNSに載せて有料サイトへ誘導する。
みなもは楽しげに、
『絶望感と無力感、たまらん。放置プレイだいすき』
『なぶられてるとこ視姦されたい』
などと書き込んでいるが。明らかに苦しんでいる人を見て欲情している、という暴力性を岡井は感じている。自分は嗜虐しているのだ。たとえ手を下さなくとも、見ることで蹂躙している。画面の向こう側にいた時には感じなかったが。今ははっきりとわかる。見ることは暴力だ。なのに、加害者にならずにはいられない。
そして、その閲覧者たちも自身の性欲を晒していて、無自覚にみなもに、その他大勢に見られている。
みなもの看板があるとはいえ、岡井がアイデアを出した動画が評価されたりコメントがつくと、やはり嬉しい。全世界に自身の性欲を晒す恥ずかしさは、閲覧数と高評価の数で払拭された。自分が考えたと言いたい気持ちと同時に、うしろめたさもある。それから、動画への些細なコメントも気になってしまう。
『みなもちゃんは白スク似合わないんじゃない?』
きっと本人には批判のつもりはないのだろうし、この見慣れたアイコンのアカウントはいつもこんなレスばかりつけている。大して気にすることでもないはず。岡井が着て欲しかったのだし、荘野もみなもも納得してくれたのだから。
『白スクもかわいいね』
たまらなくなって、岡井はつい自分で擁護コメントを書き込んでしまう。
このタイムラインに流れてくるアカウントの誰もが、二人の関係を知らない。秘密が漏れ出ないよう、岡井はみなもの動画になんとなくコメントをしづらくなってしまった。
最近裏アカのタイムラインでは、あるアカウントがちらほら話題に上がる。みなもが写真や動画をアップすると、数日後にそっくりな構図で写真をアップする女の子のSNSアカウント。パクリじゃないか、と誰かが言い出し、そのアカウントへ検証画像付きでコメントが何件か付けられた結果。ブロックされてしまった。
それからもうひとつ。岡井がみなもを知ったきっかけである、アダルト動画をシェアするアカウントで紹介されてから、度々いろんなアカウントに拡散されて、タイムラインへ流れてくる。みんなのおしりちゃん、というアカウント。プロフィール欄は「本日のおしり」とだけで、下着しか身につけていないおしりの写真だけが日替わりで、ただ淡々と何のコメントもなく毎日アップされる。癒されると評判で、岡井もついフォローした。
みなものアカウントの人気も四桁をキープしているが、時期によっては数百人単位での増減はしている。なかなか五桁の壁は高い。似たようなアカウントが次々に生まれて消えていく中で、みなもの地位だって盤石ではない。ファンがみなも以上の神を見つけて信仰を変えることを引き止められない。
配達中、たまに団地の中で住人ではない人にすれ違う。カメラで団地を撮影している人。スマホだけではなく、一眼レフやビデオカメラの人もいる。外観だけならいいが、団地内に入り込んで、岡井が見ていることに気付くと、こそこそと隠れるように去る。それを荘野に話すと、団地ファンが撮影に来ているのではないかと言う。
「もうすぐ全部取り壊しになるからさ。こういう古い団地ってファンがついてんだよ。俺も南街区の取り壊し前からずっと記録映像撮ってるし」
とりあえず素材だけなんだけど、と荘野はパソコンに入っていた未編集の動画を少しだけ観せてくれた。岡井の目で見るのとは違う、淡い光に照らされた、懐かしくも美しい風景の数々。見慣れた場所なのに、一瞬そうとはわからないほど。古びた壁も錆びた手すりも、情緒を持って語りかけてくるようだ。荘野の目にはこんな風に見えてるのか。
「きれいだね。なんかここの団地じゃないみたい」
「これも完全に取り壊されたら、撮影できなくなっちゃうけどさ」
荘野は少しだけ笑うような口調で言う。これ以上触れられたくないような態度で。
まともな映像作品もちゃんと撮ってんじゃん、と岡井は言いたいのを飲み込んだ。
以前、荘野が撮った短編映画を観せてもらったことがある。専門学校の卒業制作の作品。十五分なのに眠気と格闘することになるとは思わなかった。ひたすら暗く救いのない話で、なんでこんなの作ったんだと思うが、なんとなく納得もいく。
好きだという映画も一緒に何作か観たけれど、芸術っぽくて岡井には難解だった。でも荘野の作品と照らし合わせると、こういうのがやりたかったんだな、とわかる。現状撮っているものは、それらと大分かけ離れているけれども。今一番必要としているお金を稼ぐことには結びついているし、一定の支持を集めている。本人がその評価をどう思っているのかはわからないが。
荘野の映画を観た後、「こういう普通の映画も撮れば良いのに」などと岡井は無邪気に言ってしまった。
「そんな才能があったらとっくにやってるよ」
いつものように笑いながら自虐するのではなく。重い塊が落下するようにこぼした。
「おまえの脚本は薄っぺらい、もっと自分のこと曝け出せって言われたところでさ。気軽に人に話せるような内容の人生を送ってないし。覚悟して語ったところで、大体ドン引きされて受け入れられないし」
荘野は低いトーンで早口で吐き捨てる。ギリギリで踏みとどまっていたものが僅かな振動で破裂してしまったような。
「自分を見せろコンプレックスを曝け出せとか言う割には、実際出すとそういう話は聞きたくなかっただの、自分が特別だと思って自慢したがってるだけだの。自分自身を曝け出してもろくな点数つかないんだったらさ。そんなもん何の価値もないし、出すだけ無駄じゃん」
ぬかるみを踏んでしまった、と岡井が気付いた時にはもう遅く。慌てて足を上げても汚れてしまっているし、そこにはっきりと足跡は残っている。そんな気分。
「この時代にこの作品を作る意義はあるのかとかさ。万人受けするもの作れば、つまらないって言われて。会社入ったら今度は視聴者に合わせてレベルを下げろとか。その辺の調整をね、うまーくやれるやつが勝つんだよね、ああいう現場は」
「今はうまくやれてんじゃないの」
「……どうだろう?」
「少なくともユーザーの求めるものを提供して喜ばれてるんだから」
「まあ、そうなんだけどね」
まるで自分自身を嘲るように、荘野は鼻で笑う。
誰にも言いたくないような体験を曝け出して何度も繰り返してる。そういう意味ならこれはれっきとした君の作品だよ。そんなことを言っても、きっと荘野は喜ばないのだろうけど。
「……荘野はどういう映画を撮りたかったの?」
少し目を閉じて大きく息を吐いたあと、またいつものからりとした調子で荘野は言った。
「観た人が心を抉られて一週間くらい立ち直れなくなる映画」
「岡井ってさ、休みの日って何してんの?」
岡井が最も苦手とする質問が、また回ってきてしまった。先輩、僕にそんなに興味ないでしょう。そう言って答えずに済めばいいのだが。学校に通っていた時代から同じ答えしかできないし、その回答は減点対象だということも分かっているのに。
「いえ、特に何も……」
「え? パチンコとかなんかねえの。ゲームは? 昨日は何してたん?」
「昨日は……友達の家で映画観てました」
「何、誰が出てるやつ」
「なんか友達の好きな監督の映画で、ちょっとタイトル忘れちゃったんですけど……」
先輩の顔をちらっと伺うが、ここで適当に話を途切れさせてくれなさそうだ。
「……アメリカの高校で銃乱射事件が起きるまでの数時間の話です」
なんだそれ、そんなん観て面白いんか、と先輩は顔をしかめる。
「すみません、エノモトさん、タイヤの空気圧と呼気検査のチェック表、提出お願いします。あと誤配達の申告が来てます」
事務のパートさんが割って入ってくれたおかげで、なんとか一息つけた。
「その映画、私も好きですよ。監督のファンなんです」
「有名なんか?」
「たしかカンヌで賞取ってますよ」
「知らねえわ、そんなん」
先輩は、そんな映画知らねえよ、と馬鹿にしたように知らねえと繰り返し、大きな動作で物を落としながらチェック表のファイルを探す。悪意があるのかわからない言葉が、必要以上に染み込んでしまう。
「私、ここ来る前映画館でバイトしてたんで。映画好きなんですよ」
「あ、そうなんですか……」
彼女は岡井の方を見るが、お互いなにも発しない気不味い間を作ってしまう。取り繕いたいが、方法がわからない。
「岡井さんも、こちらのお客様転居確認とれてるんで、お荷物持ち出さないようお願いしますね」
そう言って彼女は先輩からファイルを受け取って去って行った。
また間違えた、と思う。いつも正解の会話ができない。メールも会話もチャットも、どうにも続けられない。日常会話にそんなに気負わなくてもいいのかもしれないが。何をしても何を言っても怒られるような気がして、何も出来なくなってしまう。誰の心の水面も揺らしたくない。息を潜めて音を立てないように生きてる。
配達にさえ出れば、その間はひとりだ。業務以外の会話をしないで済む。先輩の大きな独り言を耳に入れないようにして、岡井は急いで出発準備をした。
出入り口近くの壁には会社が掲げた今月の目標が貼られている。「周囲と調和のとれた服装と言葉遣いを心がけましょう」。調和、なんて僕には。少し息が苦しくなって、ぎゅっとこぶしを握る。
どんな場所に移っても、いつまで経っても自分は自分のままで、情けなく思える。
夕方、荘野の家へ配達に行ったのだが、チャイムを鳴らしても出る様子がない。一応周りを確認してから、岡井はこっそりドアノブに手をかけたが、鍵がかかっている。自分のためにいつだって開かれている扉なわけではない。そんなことを思い知らされた気分になり、不在票をそっとドアポストの隙間から潜り込ませる。
仕事が終わっても、帰る家は一つしかないのに帰りたくない。四畳半の自室に置かれたベッドの中だけでしか安心できない。そして一畳分は使いもしない洗濯機や冷蔵庫に明け渡している。
岡井は大学を辞めた後部屋にいる時間が長くなり、足の踏み場がない部屋にいるのが苦しくなって物を捨てた。小中高の教科書や制服なんてなんでとっておいていたんだろう。全部要らない気がしてゴミ袋に放り込んでいたら、空っぽになった。明日死んでも困らないし、何も疑われないほどの空白の中、明らかに不要な物だけが部屋を大きく占めている。他はほとんど何もない。歪な空間。でもこの部屋で最も不要なものは、自分自身に思える。
どこにいてもいたたまれないな、とパーカーと鞄を洗濯機の上に放る。
でも荘野の部屋は居心地が良い。彼と一緒にいると気持ちが落ち着くけれど、負担になっていないだろうかと、岡井は不安になる。行きたいけれど、今日は我慢。そう思ってベッドの上でスマホをいじりっていると、みなもからの通知が届く。
ペット用の檻に監禁されたみなもの写真と動画。檻の柵に枷で拘束したり、犬用トイレで用を足させたり。危ういことをしているはずなのに、ちょっと楽しかったな、と思い返す。とんでもないことに巻き込まれてしまった、そう思っていたはずなのに。荘野とみなもと過ごす時間でしか笑っていない気がする。
あの部屋にいる間は何にも怯えなくていい。上手く話せなくても許されて甘やかしてもらえる。幼なじみだから? 秘密を共有してるから?
何も誤魔化さずにいられる相手だからこそ、もっと荘野を大切に扱いたい。仕事が終われば動画が観れる、だったのが、荘野と過ごせる、にいつの間にか変わった。この気持ちはみなもに対する情熱とは全く別の何かだ。
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