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きっと何でもない顔をしているんだろうと思っていたら、やっぱりそうだった。岡井が荘野の家へ行くと、当の本人はハンディマッサージャーをごりごりと肩や首に押し当てていた。
「電マの正しい使い方をしてる人、初めて見た……」
「なんか昔セクキャバのお客さんにもらったんだよね。ローターとか色々」
やる? と荘野は岡井にマッサージャーを向けるので、とりあえず横に座って肩こりをほぐす。
「昨日の動画、おかゆさんからのいいねがまだ付いてないんだけど」
「ハンドルネームで呼ばないでくれる? ちょっと忘れてただけだから」
「えー、今すぐつけて。いいね一番乗りを目指して。なんなら動画見る前にいいねして。見える形でみなもへの愛を示して」
「脅迫だ……」
荘野は煙草の煙を深く吐きながら、スマホをいじる。すると岡井のスマホにも通知が入る。みなもの最新のつぶやき。
『有料動画見てくれないと病んじゃう』
『DMでえっちな画像送るのやめて』
『もうやだ。しにたい』
数分もすると、そんな投稿ですらいいねとハートが押され、みなもを慰め励ますようなレスが付く。見える形の愛なのだろうか、これは。
投稿内容のせいか、みなものSNSの画面に自殺防止センターのアラートが表示される。
「信頼できる人に相談しましょうって、そんな相手がいたら自殺とかしねえだろ」
そう軽く舌打ちをしながら、荘野はこれ、と岡井にノートパソコンの画面を見せてきた。
『みなもちゃんのパンツは絶対に白かピンク。黒なんかもう履いちゃダメだよ』
『最近のみなもちゃんは大衆に迎合しすぎていて良くないよ。昔のようにストイックに拘束されて我慢出来ずに失禁する動画のみをあげるべきだよ。そんなんじゃファンは離れていっちゃう。今SNSでチヤホヤしてくれる人たちは一時的なもの。みなもちゃんらしい動画をアップしてね。まだ若いからわからないだろうけど、大人からの忠告はちゃんと聞こうね』
単語の後ろにいちいちきらびやかな絵文字が散りばめられているせいで、目が痛い。ここ数ヶ月同じアカウントからみなものSNSに、DMやレスで毎日のようにこういった内容が送られてくるのだという。
送信者のアイコンは、岡井にもなんとなく見覚えがある。相手のアカウントを見ると、みなもの動画や写真を片っ端から拡散しているだけで、そこに何のコメントも自身についての書き込みもない。みなもにメッセージを送るためだけにあるようなアカウント。ブロックしたいが相手の神経を逆なでしたくないと、みなも側は無視を続けている状態なのだそうだ。
「誰かの別アカかな。とりあえず嫌がらせで全部通報しておく」
「俺も毎回してるんだけどね。こういうのって、なかなかどうにもならないのな」
なにかをしてやりたい。岡井のそういう気持ちは、頭を撫でてやりたいとか手を握ってあげたいに変換される。でもおそらく今の荘野はそれを求めていないだろう。それに、あまりにも岡井の一方的な願望だ。
「あ、そうだ。みなものパクリのアカウントあるの知ってる? なんかDMが来てさあ……おまえのとこのファンに粘着されて嫌がらせされてるからどうにかしろって」
「それはなかなか……凄いお願いが……」
「まあ、こっちから迷惑かけんなってアナウンスするけどさあ。なんなんだよ、本当。次から次へと」
大きなため息と一緒に煙が吐かれる。荘野の胸の内を混ぜたような、濃い煙。
「もう引っ越しとかもさー、家電買い替える金もないし……死んだら全部解決するかな」
「そういう物騒なこと言わない」
荘野は口を尖らせてちょっとふてくされた態度をとって、岡井の足を軽く蹴り、少しだけほどけて笑う。本当にずっと冗談みたいにかわしていられたらいいのに。何か大事なことを聞きこぼしてしまうのが怖い。
「……あげようか? 家電」
岡井の言葉に、え? と荘野は明るく顔を向ける。
「洗濯機と冷蔵庫と電子レンジ、タダであげるよ。一人暮らししてた時に使ってたやつ。ちょっと古いけど、ほとんど使ってないから綺麗だよ」
「いいの? なんで? それはありがたいけど……本当にいいの?」
「どうせもう使うこともないし」
どうせ、もう。その諦めを自分に言い聞かせるように、岡井は心の中だけでつぶやいた。どうせここから出られないままなら、せめて荘野が楽しそうにしている時間の隅にいさせてほしい。
荘野は賞味期限が今日だからと言って、カップラーメンに納豆を投入し、相変わらず見た目が地獄の食べ物を作っている。岡井が買ってきたファミリーパックのアイスを一本ずつ食べ、残りは冷凍庫へ。私物をこの家に置く勇気はないけれど、これくらいなら許されるだろう。
自宅よりも気楽だけれど、それでも荘野といると、岡井は完全に緊張を解くことは出来ない。荘野にとっては慣れた冗談かもしれないが、岡井にはそう聞こえない。
これから死のうとする人間が、奨学金を繰上げ返済しないだろうと思っていても。みなものSNSのプロフィール欄には、新たに「窒息」が加えられている。簡単に気が変わってふわりと越えてはいけないものを越えてしまいそうだ。
そうしている間に、通知音が鳴った。みなものSNSにDMが届いている。また同じやつか? と唸りながら開いてみると。
『みなもちゃんXX市住みだよね? XXX団地かな?』
そこに書かれていたのは、近隣の団地の名前だった。ここと同じような、半世紀近く前に建てられた団地。岡井も配達に行っている、似たような見た目の団地だ。
ふたりともあまりの恐怖に短く声を上げた。
「完全にストーカーじゃん……」
「今、すっげえ寒気したんだけど」
「ダメだ、もう死ぬしかない」
「しばらく動画あげるの止めようか」
「それだとアイツに屈したみたいで嫌だ」
居住地がわかるようなことを書いたつもりはないのに、とみなものSNSをふたりでもう一度確認する。画像にもGPS情報は添付されていないはずだ。一体どうやって。みなものファンはSNSのフォロワーだけでも四桁いる。その中の誰かだろうか。しかしみなものアカウントはどれも全体に公開にしているので、目に見えるフォロワーとは限らない。
それに送信元は、先程の困ったメッセージを送ってくるアカウントとも違う。このアカウントは何の投稿もされておらず、アイコンも設定されておらず、ただ真っ白で不気味だ。
テーブルの上のマッサージャーを見て、荘野はみなも関係専用に使っている方のスマホに手を伸ばす。
「セクキャバ時代の客って可能性もあるな……。名前変えてないから、簡単にアカウント特定されると思う。あの頃もさっきみたいな気持ち悪いメッセージせっせと送ってくるやつ何人かいたし」
メッセージアプリを開くと、大勢の名前が並んでいる。
「……これ全部みなもの顧客?」
「そう。本指名ナンバーワン獲ったからね。期待されるとつい頑張って応えちゃうタイプだから。コンビニもこれが売れるかなと思って仕入れて、ちゃんと売れると嬉しいし。動画もこれが受けるかなと思って撮って、ちゃんと再生回数稼げると嬉しいし」
荘野はさらりと話すが、岡井にはそれがなんだかもどかしい。
そうやって何でも他人の期待に、他人の欲望にそわなくてもいいのに。危ういプレイを周りのリクエストに応えて喜ばれたからって、次はもっとなんてやらなくていいのに。昔撮った短編映画みたいに、たとえ評価されなくても絶対譲れないものがあっただろう。
岡井はみなものSNSを調べていて、あることに気がついた。すぐさま、ほしいものリストから商品を購入する。
少し間があってから、岡井のスマホに注文確認メールが届く。荷物の配達状況も調べられることがわかった。
「たぶんこれじゃない? おそらく追跡画面で実際に配達する営業所のある場所まではわかるよ。XXX団地もうちの配達区内だから、かなり範囲を絞られてると思う」
岡井のその言葉を聞いて、荘野は即刻みなものSNSからほしいものリストを削除した。
「とりあえず、ほしいものリストから貢いでくれた人の中の誰かだよな……金もないのになんでこういう……」
荘野が表計算アプリを開くと、購入者や購入品などが一覧表になっている。先の二つのアカウントは、どちらも一覧の中には見当たらない。嫌がらせ用の捨てアカウントだろう。
「なんか疲れちゃった……」
そう言って荘野は、隣の撮影部屋の床に大の字になって転がった。岡井は結露で濡れたグラスに残った麦茶を飲み干し、ギフトカードの贈り主一覧にある、自分のハンドルネームを眺める。金額順でソートすると半分より下だ。でもこの表の中にいない無課金のファンが大勢いるのだし、と思ったが。そんなことを競っても仕方がない。
岡井が隣に寝転がると、荘野は目を閉じたまま転がって、岡井の腹の上へ頭を乗せる。触れたい、と今この瞬間思うのは荘野であって、みなもじゃない。でもどちらにも触れられない。
「どいつもこいつも、おしりちゃんとかフォローしやがって。なにあれ。低コストのわりに集客には成功してるけど、単調ですぐ飽きられるんじゃないの。月額料金も低めだから稼げないだろ。あんなん長続きすんのかね」
「意外なライバル意識が……」
「そういうんじゃないけどさ」
腹の上に乗った、頭ひとつ分の重み。愛おしさを重さに変換したら、きっとこの身体ひとつ分よりも重い。
「苦労して金稼いでる方が偉いって考えが正しいとは思わないけど。なんていうかさあ……」
岡井の腹を枕にしたまま寝返りを打って、荘野は大きなため息をつく。
「おまえは俺以外の神を求めるなよ」
ゆっくりと目を開けて、荘野は岡井をじっと見る。いつも目隠しをされてこちらを見ることができない神様が、こちらから見ることのできない目を向けている。野生の獣のような美しい黒い瞳。目を逸らせない。神様に抗えるわけないじゃないか。
これなに、と荘野は岡井の腕の内側を指で撫でる。真っ直ぐにひかれた点線のような傷が、岡井の両腕に何本もついている。
「ああ、荷物運んでる時、ダンボールの縁で切っちゃうんだよね。気をつけてるんだけど、つい」
荘野はその傷を、順番に指で軽く押しながらなぞっていく。もう治りかけで薄くなった傷と、ついたばかりで赤が滲む傷。もう消えてしまったいくつもの傷。誰にも触らせていないものに触れられているのに。やわらかな痛みは不思議と心地よい。
「もうここは危ないから、本当にラブホ行こう」
荘野は起き上がって、スマホでラブホテルを検索する。岡井も直接床に寝たせいで背中が痛くて起き上がり、画面を覗き込む。
「みなもちゃんをもっと惨たらしい目に遭わせないとな」
まるで他人事みたいに言う。本当に惨たらしい目に遭うのは荘野自身なのに。
「なんか最近ハードなのが続いてるからさ、あんまハードなやつより、可愛げがあるやつがいいな……」
「でもあんまぬるいと、つまらないって言われるよ。商品なんだから、ある程度はさ。君たちは可愛い子が痛めつけられて悶え苦しんでるとこを見たいんだろう」
君たち、という言葉に僕を括らないでくれ。岡井はそう言いたいけれど。今までさんざん抜いておいて、他の奴らとは違うだなんて言えない。
身を寄せ合って小さな画面を覗き、あれがいいこれは嫌だなどと話し合う内に。岡井は、不意に子供の頃の感覚が身体の中によみがえってくるのを感じた。夏休みのプールの帰りに一緒にアイスを買い食いしたり、球技大会で卓球やってすぐ負けて階段に座ってずっと馬鹿話してた、あの感じ。休み時間に一輪車をやったり、昇降口の傘立てに座ってとりとめのないことを話し込んだり。そこに確かに荘野もいた。この団地の外に出てからすっかり忘れていた、遠い記憶。
「……あれ? なんか小学校の時の夏休みにさ、プールの帰りにみんなでコンビニでアイス買おうってなった時、スーパーで箱で買ってみんなで分けるのが一番安いって言い出したの、荘野だっけ?」
「うーん、覚えてないけど、いかにも俺が言いだしそう」
よくそんなこと覚えてるね、と荘野は笑う。
「たぶんね、お金なくて自分だけ買えない恥をかきたくなかったんだと思うよ。今だったら、俺は別にいいとか言えるんだけどさ」
長い時間を一緒に過ごして同じものを見ていたつもりなのに、見る角度が違う記憶を持っている。きっと今もそうなのだと思う。
閉じた唇に押し付けると、みなもはゆっくりと口を開けて先だけ柔らかく咥えた。舌先を使って恐る恐る舐める。口の奥に少し押し込むと、そのまましゃぶりつく。次第に唇が白い液体で汚れていく。
みなもの口にミルク味のアイスキャンディを咥えさせながら、岡井は一体なんでこんな事になったのかと心底思った。
「自分で舐めるのと、拘束された状態で無理矢理舐めさせられてるの、どっちが良い? やっぱりどっちも撮るべき?」
荘野はアイスキャンディの箱を冷凍庫から取り出し、岡井に一本手渡した。
「そういえば働いてた店にそういうオプションあったなあって思い出してさあ」
「聞けば聞くほど、そのセクキャバちょっとアレだよね?」
「だから潰れたんだよ」
「まあ、金を払うなら後者かな……」
「だよね。じゃあ頼むわ」
その結果が今の状況だ。
目隠しをされ上半身を縛られたみなも相手に、オーラルセックスの真似事をしている。アイスをゆっくり奥へ挿しこむと、みなもは少し苦しそうにする。そしてゆっくりと引き、また奥へ突っ込みしゃぶらせる動作を繰り返す。唇の熱で溶けたバニラアイスが滴となって口の端から漏れ、顎を伝い、胸元をスクール水着を白く汚していく。
自分の手が映りこまないように、緊張が荘野に伝わらないように。岡井は手が震えないよう意識しすぎて、棒を握る指に変に力が入ってしまい、慌てて自分を落ち着かせる。それでも指先から腕が、皮膚の下が、下半身がじんわりと熱くなるのがわかる。
アイスを引き抜くと、みなもは口の周りのバニラを舌を回して舐めとった。まだ物欲しそうに口を開けるので、岡井が再びアイスを挿し込もうとすると。顔の上にパタリとバニラが滴れた。一滴、二滴。わざとじゃないのに、そう見える。
岡井はそのままアイスをみなもの口に咥えさせ、また抜き挿しする動作を続ける。動揺が伝わらないように、冷静に、と自分に言い聞かせながら。みなもは恍惚とした表情でアイスをしゃぶり尽くす。
思わぬことが起きたおかげで動画としては良い出来になった。何も知らないただのファンだったら、最高の動画だと絶賛するコメントを送って、ついでに貢ぎ物までしていただろう。
ごっこ遊びを続けながら、どれが自分の本当の感情なのかわからなくなる。
設定通りのMの男の娘のみなもの口に、自分のものを突っ込んで犯していいよ、と差し出されたら。何も知らない頃の自分なら喜んだはずだ。でも相手は荘野だ。目の前の人間は、ファンタジーな作り物の中の登場人物じゃない。こんなことは、みなもだからさせてくれることだ。みなもというキャラクターに欲情しているけれど、荘野のことを貶めたくない。
これがどういう感情なのかわからない。ただ都合の良い相手で性欲を発散させたいのか、純粋に性愛だと思ってるのか。好きだって言う度胸も根性もない。自分の感情をどう処理したら良いのかわからない。
荘野は金のためだと言うけれど、金ってなんだろう。生きているだけで金がかかる。岡井がそう考えている間にも、みなものR18動画の月額料金が今月も支払われていく。
暗闇の中に明るく灯るテレビの画面みたいに、岡井にとってのみなもは救いを与えてくれる存在だった。神様で絶対的だったみなもが、少しずつ薄れていく。でもそれが嫌な訳でも腹が立つ訳でもない。目の前にいる荘野の存在がどんどん色濃くなっていく。
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