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「尊王攘夷を唱える人たちって、みんなもう、どっかオカシクなってきちゃってるからぁ」
京都で再会した、きみ姉ちゃんの言葉が思い出される。
そうかもしれない。
確かに、みんな、どこかおかしくなっているのだ。多分、以蔵君もだ。
「しばらく、こちらにいるのですか」
と、乙女様は不意に、にっこりされた。
そして、大きな掌で、ごしごしとわたしの頭を撫でて下さった。
「今までのお仕事の給与も払いたいですし、せめて、一週間ほど休んでいけば」
どうです。龍馬は千葉道場にしばらくお籠りするのでしょうから、ゆっくりしなさいな。
乙女様は時々、慈母のようなお顔をされる。
立ち上がると、少しお待ちなさいな、と言われ、家の中に入られた。それからまたすぐに出て来られる。
お盆に、おにぎりとお茶が乗っていた。
「食べてゆきなさい。本当はきちんとした食事を出したいのですが、朝ご飯の支度はこれからですから」
おいしそうなおにぎり。
わたしは、乙女様の握るおにぎりが大好きだ。大きくて、ごろんとしていて、梅干しも塩がよく効いて、おおらかで豪快な乙女様そのもののような気がする。
「このおにぎりを、食べたかったです」
正直にお話したら、乙女様は太陽のように笑われた。大きな笑顔が、龍馬さんの笑い顔に重なった。
ああ、二人は確かにきょうだいなのだ。
**
江戸を出発する前に、以蔵君に似た顔の変装は落としてきている。
わたしとしても、あまり変な化粧を着けたままにしたくはない。肌に悪いからだ。
素肌に当たる土佐の秋の風は心地よい。
忍の走りで岩村に入る。カラスの海は空をはばたき、一足先にうちに到着していた。
親爺殿が家の前に出て、海を肩に乗せて待っていた。あぜ道を走って帰ってくるわたしに向かい「おー」と、片手を上げられる。
戻りました、と告げると「まだ任務の途中だろう。まあ、入りなさい」と、中に入れてくれた。
海は「かあー」と鳴くと、懐かしい土佐の空に舞い上がる。
「海、だいぶくたびれたなー」
引き戸から空を見上げて、親爺殿は言った。火の消えた囲炉裏の前に座るわたしを見ると「他のカラスに代えるか」と言った。
うーん、と、わたしは渋った。
確かに、他にカラスはいる。
だが、海が一番利口だし、なにより乙女様に懐いている。
「しかし、長距離を何度も往復させるのは、難しい気がしますよ」
わたしは呟いた。
「確か、滋養強壮の丸薬の処方があったはずです。土佐にいる間に作って、試してみようかと」
親爺殿は引き戸を細く開いたまま中に入り、わたしの向かいに腰を下ろした。
今日は、才谷屋の仕事は休みなのだろう。のんびりしている。
「もっと良い物があるぞ。延命に効くやつ」
親爺殿はこともなげに言った。
ぎょっとして顔を上げると、親爺殿は目を細めていた。
「ただ、ちょっと変異がある。この副作用の出方は、個体差があるようだ。まあ、悪いものではないのだが、少々突飛なことがあるかもしれんなあ」
個人差。突飛。
ちょっと嫌な予感がしたが、延命に効くというのは興味深い。
なにより、わたしは海にもう少し頑張ってもらいたかった。海としても、このまま土佐に置き去りにされるのは本意ではないだろう。多分。
親爺殿は嬉々として奥に引っ込み、ネズミを飼育している箱を持って戻ってきた。
実験用の野ネズミである。
わたしは製薬が得意だが、それは親爺殿も同じだ。
親爺殿の場合は、ほとんど趣味のようなものだ。あれこれと色々な薬を調合しては試し、嬉しがっている。中にはだいぶ怪しいものもある。
例えば、薄毛に効く薬だ。
これは、相当効く。効きすぎて支障があるだろうと考え、人間には未使用だ。ちなみに実験に用いられたネズミは、毛が生えてタワシのようになってしまった。
他、精力の弱さに悩む男性のために試作された薬は、凄まじい効き目があるので、危険極まりないと親爺殿は判断した。
「これは絶対に駄目なやつ」
と言い、処方箋は鍵のかかる箱にしまわれている。門外不出の処方のひとつだ。
延命の薬は、安全なものなのだろうか。
親爺殿はネズミの箱を開いて見せた。一匹の野ネズミが、きょとんとして見上げている。なんら変わり映えのない、普通のネズミだ。
「実はこれは、大怪我をして瀕死だった。薬を与えたらたちどころに治り、生き永らえている」
おまけに。
親爺殿は嬉しそうにネズミを摘まみ上げると、ぽおん、と梁に向けて放り投げたのだった。
乱暴に放り投げられたネズミは手足を丸め、そのまま重力に任せて落下し、板の間に体を打ち付けるかと思われた。しかし、途中でネズミは宙で止まった。
実際に、目で見ても信じられなかった。
ネズミは、長い尻尾を竹トンボのようにぐるぐる回し、飛翔しているのである。
「うっそー」
と、わたしは言った。
「俺もうそだと思ったよ。こんなの漫画だ」
親爺殿は言い、ネズミをまた摘まみ上げて、箱にしまった。
ちゅー。蓋をされた箱の中で、ネズミが鳴いている。
「脳に働きかける薬なんだよ。脳みそってのは凄くてな。ちょっと構造が変わると、特殊なことになる」
親爺殿は言いながら、ネズミの箱をしまってきた。
狂っている。まともな神経では、忍者はやっておれない。
いや。そもそも、こんな変な製薬を、普通、忍者は開発するものなのだろうか。
「忍稼業が立ち行かなくなったら、俺は薬師にでもなろうかと」
親爺殿は言った。なるほど。繁盛するかもしれない。
「どうだ。この処方を頭に叩き込んでゆけ。江戸でもどこでも作れるようにな」
海に与えたら、たぶん、今の能力に加えて、すごいことになるぜ。
親爺殿は目をらんらんと輝かせて嬉しそうだ。
なんだか、カラスを実験動物にするようで気が引けたが、今後、海に伝令として働いてもらうならば、試す他、ない。
親爺殿によれば、効果は一日二日くらいで出るようなので、土佐滞在中に実験できるだろう。
できれば海には元気でいてもらいたいから。
自分自身に言い聞かせた。人道的ではないと思うからだ。こんな変な薬は。
親爺殿が書きつけた処方を受け取る。見ると、そのへんの野草や、虫などで、意外に手軽に作ることができそうだった。
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