第三部 嵐の前

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 土佐に戻っている間は、毎日、例の製薬に尽力した。  材料を集め、練ったり、絞ったり、煮立てたり、乾かしたりして、処方に忠実に行う。  時々親爺殿が覗きに来ては「うまくいっている」と褒めてくれる。  丸薬ができた時、意外に良いにおいがするので驚いた。  怪しげな薬だから、どんな嫌らしいにおいかと覚悟していたのだ。だが、その丸薬はまるで、飴玉のように甘い香りがし、そこにあったら、ついつい口に放り込んでしまいそうだった。  色も、艶やかで半透明な赤い色である。日にかざすと宝石のように美しい。  この、丸薬が。  口に入れたくなるのを堪える。いけない、これを飲んでしまったら、どんな副作用がでるか見当もつかぬ。  ネズミは尻尾を竹トンボにして空中浮遊したが、人間が飲んだらどうなってしまうのだろう。  想像もできなかった。  「おー、できたかー」  家の裏のかまどの前で、できたての薬を麻袋に詰めていたら、親爺殿がやってきた。  ひょいっと一粒つまむと、「良い出来じゃねえかー」と言った。驚いたことに、親爺殿は、摘まんだ一粒を口に放り込んでしまった。ころころと転がし「これがウメエーんだわ」と言っている。  「大丈夫なんですか」  と聞くと、親爺殿は「死なねーよ。この薬のお陰で、最近、足腰が強くなった。引退はまだまだ先だなあ」と言った。  人間には、副作用は出ないんだろうか。    海に飲ませてみるか、と、親爺殿が言うので、「いや、他の鳥で試して見てから」と断った。  どこかから逃げてきた鶏を一羽、昨日捕まえたのだ。こっこ、と、暢気に、さかさにしたザルの中で餌をついばんでいる。  申し訳ないが、こいつで実験させてもらう。死にはしないなら、まあ、いいだろう。  まあ、やってみろや、と親爺殿が言うので、鶏をザルからつかみ出した。親爺殿に鶏を持っていてもらう。怒った鶏は、手を近づけるとつつこうとしてくる。  「そのまま薬を持ってきなさい。においに釣られて自分から食うぞ」  親爺殿は言った。  そのとおりにしたら、鶏は嬉々として、わたしの手から薬をついばんだのである。  さて、服薬はした。  なにが変わるだろう。  「個体差はあるが、まあ、明日かあさってには結果が」  親爺殿が言いかけた時だった。  ばさあ。  孔雀が羽ばたいたかと思った。  解放された鶏は、早速広い野原に駆けだそうとした。その時、羽根が一気に広がった。  一瞬にして茶色い鶏は、極楽鳥に変身したのだった。  ばさあ、ばさあ。  鶏が、空を飛んでいる。低いけれど、飛行している。  美しい羽根と、長く伸びた尻尾を揺らしながら。  「なんだー、あれは」  流石に親爺殿も面食らっている。    滋養強壮、延命効果のある薬をついばんだ鶏。副作用は、極楽鳥に変化することだった。  ゆさあ、ゆさあ、と羽ばたきながら鶏は野に出てゆき、遠くの畑から村人が「極楽鳥だー、ありがたやー」と叫ぶ声が聞こえてきた。  「効果の出方は個体差があるからなあ。鶏は、即効だったなあ」  親爺殿は苦笑いしていた。    海も、鳥だから早く効果が出るかもしれない。  極楽鳥になってもらっては、困るのだが。  「博奕みたいなもんだなー、どんな副作用が出るのかは」  親爺殿は言う。  「どうする。もし海が、夜になったら発光するような体質になっちまったら、もう仕事にはつれてゆけねえなあ」  わたしは悩んだ。  海には働いてもらいたい。しかし、変な副作用は困る。  「もう少し、考えてから」  と、言おうとした時、ばさっと背後で音がした。海が空の散歩から戻ってきたらしい。  かまどの前に置いた台に止まり、麻袋から零れた丸薬に興味を示している。  あ、あ。  止める間もなかった。  海は嬉しそうに丸薬を口に入れ、さも美味しそうに飲み下したのである。  あるじ。もっとありませんか。もっと。  そう言いたげな顔で、目をきらきらさせている。  「はわ」  わたしは息を飲んだ。親爺殿は、ぽん、と、わたしの肩を叩くと、通り過ぎた。  「まあ、結果を待つことだ。仕事に支障がでるようなことになったら、諦めて他のカラスを使うんだな」  はわ、はわ、はわ。  おろおろと海を眺めているが、別段、変化は今のところ見られない。  海はきょとんとしていたが、丸薬のおかわりがもらえないことを察して、また飛んでいった。  心なしか、いつもよりも活気のある飛び方に見える。  「こーけこっこー」  遠いところから、極楽鳥に変身した鶏の鳴き声が響いてきた。 **
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