第三部 嵐の前

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 きみ姉ちゃんは、じっとわたしの様子を見た。そして、ため息をついた。どうにも仕方がない、と言いたげな様子だった。  もちろんわたしは、誰がどう言おうと、ここに以蔵君がいることが分かったからには探すつもりでいる。  天誅だろうが、人斬りだろうが、まずは自分の目で確かめたいのだから。  「まあ、これを持っておゆき」  きみ姉ちゃんは、懐から小さな巾着を出し、中からぽろぽろと玉のようなものを五つほど出してくれた。  紙を丸めて玉にしたものだ。これは鳥の子である。  どうにもならない危機に直面した時、打ち竹を使って鳥の子に火をつけ、投げる。そうすると煙が一気に放出され、目くらましになるのだ。  忍の遁術の一つである。  きみ姉ちゃんは鳥の子をくれることで、警告している。  ここまで言ったって、どうせ言うことをきかないんでしょう。でも、本当に気を付けなさいよ。  きみ姉ちゃんは、じっとわたしの目を覗き込むと、苦笑いをした。  「出っ歯で悪人面の男だって聞いているけれど。なに、好きなの」    好きと言うのが恋心のことならば、それは違う。  わたしは、ふるふると首を横に振り、「僕は忍だよ」と答えた。きみ姉ちゃんは肩を竦めて「忍は自分から不要な危険には近づきません」と言い返した。  つまり、わたしは言い負かされた。    「初めての接吻の相手なんだよ。行く末が気になって当然でしょ」  そう言っておいた。嘘ではない。  「そっか、そりゃ仕方ないわね」  きみ姉ちゃんは諦めたのか、あっさりと答えた。そして、ぽんとわたしの頭に手を乗せた。  「まあ、あんたなら大丈夫だわね。気を付けなさいな。無事に坂本さんのところに到着したら、便りを頂戴ね」  そう言うと、きみ姉ちゃんはにっこり笑って、勝手口から中に入ってしまった。    「二度目の接吻は、人斬り以外の相手とすることねー」  引き戸の内側から笑いを含んだ声で、きみ姉ちゃんは言った。  「できれば本気の相手とねー」  そう付け加えてから、とんとんと小走りで奥に入っていったようだ。  二度目の接吻ね。  思わず手で口を触れてしまった。  いや、あれは数に数えてはいけないだろう。酔った龍馬さんがとち狂っていたのだし、あの後、自分が押し倒した相手の顔を見て衝撃を受けていたではないか。  (あれは、龍馬さんとわたしではなく、龍馬さんと以蔵君の接吻だった)  うえっと気分が悪くなった。 **
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