第三部 嵐の前

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 裏通りから表に出ると、すうっとカラスが降りてきて肩に止まった。  海が、賢い目を輝かせている。  いたんだね、と言うと、「か」と返事が返ってきた。海は羽ばたくと飛び上がった。  あるじ。こっちですぜ。  海は、そう言っている。  わたしは周囲を見回す。人通りが途絶えるほんの一瞬を逃さず、建物の壁を駆けあがって屋根の上に乗った。そのまま、体を低くして走り出した。  海は分かりやすく飛んでくれている。  屋根から屋根へ飛び移る。忍の走り方は風である。とっくに伏見から出ており、庶民的な繁華街に差し掛かろうとしている。    海はどうやら、川辺のほうに飛んだ。  そっちか。そっちに行けば、以蔵君に会えるのか。  屋根と屋根の間は、薄暗い通りになっている。じめついた裏路地ならば、屋根から飛び降りても人目につくまい。  暗い道の中に、すたんと飛び降りた。  眩しい表通りの光が前に見えている。  走り出そうとして、はたと異様さに気づいた。  生臭かった。腐臭ではない。まだ真新しい血の匂いだ。    忍者の目は暗がりでも効く。  ぎゅっと目をすぼめて、昼間でも闇が落ちる裏路地の風景を見据えた。  見えた。そこに、なにが転がっているのかを。  (天誅か)  抜刀した侍が、血まみれになって倒れている。目を見開いたまま、こときれている。  手には刀が握りしめられているので、殺される前に戦おうとしたのだろう。だが、叶わずに惨殺された。  まだ人に見つかっていない死体の側に、いつまでも立っているわけにはいかなかった。  そっとその場から離れると、再び屋根に飛び乗り、別の裏路地に降りた。今は、以蔵君を見つけたいのだ。眩しい表通りに走り出ると、人々が賑やかに行き飼っている。並木の向こうは河原になっていた。  海が向かったのは、その河原である。  人ごみを縫って、通りを横切った。  そして、並木の間を通り抜け、草の生い茂る河原に滑り降りる。既に、見覚えのある後姿を見つけていたのだ。  以蔵君が、河原に腰を置いて、京都の川の流れを眺めている。  その人が以蔵君である証拠に、カラスの海が彼の肩に乗っていた。海はこちらを振り向くと「か」と鳴いた。  海を肩に止まらせていた以蔵君が、眉をしかめた顔で振り向く。  「りょうたぁ、なんでこがなところに」  何も変わらない声で、以蔵君は叫んだのだった。 **
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