第四部 始動

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その三 捨てる道  江戸に土佐勤王党の面々が勅使の護衛として行きましたが、龍馬と会うかもしれません。  おそらく、龍馬はこれからせわしく動き回るでしょうから、よろしくお願いします。  カラスの海が、土佐から便りを運んできた。  江戸に入ってから、何度も土佐や京都に使いにやっているが、海は元気である。    今までは龍馬さんにあまり変わった動きがなかったので、報告内容は退屈なものだった。  これから龍馬さんが動き回るだろう、と、乙女様は予想しておられる。いつもながら、見事な読みだ。確かに龍馬さんは、まさに今から動こうとしておられる。  木枯らしの吹く庭には落ち葉が舞っている。  さな子さんからもらった綿入れを纏いつつ、庭を竹ぼうきで掃いていた。海が便りを持って戻ってきたのは、そんな時だった。  肩に止まった海を撫でると、早速、懐から例の丸薬の巾着を取り出した。  もう海は待ちきれないように「かかか、か」と小さく喉を鳴らして足踏みをしている。よほど美味しいのだろう。  一粒出してやると、大喜びでついばんだ。良い香りがふわりと漂う。  (甘くて美味しそうな匂いがするんだけど、食べたいとは思わないなあ)  親父殿はこの丸薬のおかげで足腰が若返り、引退はまだまだ先だ、と言っておられたが、わたしが恐れるのは副作用である。  実験用のネズミは尻尾を竹トンボのように高速で回して空中浮遊していたし、鶏は孔雀に変化した。海は鳥目ではなくなり、夜でも目をらんらんと輝かせて化け物のようだ。  (なるべくなら、使わないに越したことはないなあ)  巾着をしまい込みながら、ため息をついた。   ぱあん、ぱん、ぱん。  道場の方からは、今日も早くから竹刀で打ち合う音が響いていた。  その音の中には、さな子さんの竹刀も混じっているはずだ。あんな細い体をした綺麗な人だが、男に混じってひけを取らない位の腕前なのである。  「きしゃあああああああああ、うるぅああああああああああッ」  今、確かにさな子さんの気合の入った声が聞こえてきた。  すごい迫力である。乙女様と互角かもしれない。  一瞬、龍馬さんを挟んでにらみ合う、乙女様とさな子さんの図が頭に浮かぶ。  物騒な、嫌だ嫌だ。  しかし心の何処かでは、乙女様とさな子さんがまみえる日が来ることを、どこかで祈っている。  さな子さんほど純情かつ一途に、龍馬さんを慕う人がこの先現れるとは思えない。    (龍馬さんも、いい加減、さな子さんの気持ちに応えてあげるべきだろうに)  わたしが見たところ、龍馬さんはさな子さんのことが、決して嫌いではない。話しかけられればデレッと鼻の下を伸ばすしーー見ていると、何だか腹がたつーー人目のないところで、さりげなくさな子さんが身を寄せてくると、まんざらでもない反応を示す。  だが、そこから先が、どうも、見えないのだ。  龍馬さんはすぐに、さな子さんから視線を外し、もっと他のことを考えているようである。  それを、さな子さんは分かっている。  武市さんからの文が千葉家に届いた日から、さな子さんは心を決めておられる。    龍馬さんが、この先どこに行き、自分を振り向かないとしても、信じ続けようと。  龍馬さんの未来の妻で居続けることを、さな子さんは選んでおられる。 **
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