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その四 独自の道
乙女様への報告内容が、このところ、難しくなっている。
龍馬さんが持論を持ち始めておられることをお伝えすると、分かる範囲でどんなことを考えているのか教えてくれろと指示が返ってきた。
それで、どうしても、龍馬さんが誰かとお会いになる際は耳を大にして、会話の内容に注意しなくてはならなくなった。
久坂さんや高杉さんが主張しているのは、危険な攘夷論である。
この人たちは「尊王」の部分より「攘夷」に着目している。すなわち、異国を排除する、異国を敵視するといった内容だ。
国が異国に乗っ取られるという恐れを、久坂さん達は抱いている。強引に開国してしまった幕府に対し、怒りを燃やしているのだ。
ある意味、これは先を見据える目を持った考えと言える。
公武合体だの、尊王だの言って国内で争っている状態の、向こう側を見て、危機を持っているのだから。
「こんな日本が、外国に叶うわけがない」
というのが、彼等の考えの根っこにある。それについては、龍馬さんも完全に同意しておられるように思う。
龍馬さんは早い段階で、大砲術に興味を持っておられたし、黒船が来た時も大いに好奇心を刺激されていた。
海の向こうについての思いは、龍馬さんも強く持っておられる。だから、久坂さんに初めて会った時に心を揺さぶられたのだろう。
だが、根本的なところが、彼等と龍馬さんは違っているのだった。
久坂さんばかりではなく、武市さんとも、龍馬さんはまるで異なっている。
土佐勤王党の、邪魔な者は排除するというやり方自体、龍馬さんは良いと思っていないだろう。
江戸に武市さんが来て、再会を喜び合ったのも束の間で、龍馬さんから会いに行くことはなかった。
やんわりとではあるが、龍馬さんは自分の選択する道を吟味し始めている。久坂さんの攘夷論も、土佐勤王党も、龍馬さんは自分の中から捨てておられる。
「龍馬さんは、この頃、土佐藩士の間崎哲馬という人と交流をよくしておられ、三日に一度は会ってお話しておられる」
乙女様には、詳しく報告しなくてはならぬ。
報告書をカラスの海の足に結び、土佐に送る頻度も増した。おかげで海は、休みなく江戸と土佐を往復する日々である。
あの薬は強烈だ。酷使されながらも、海はますます元気で活力に満ち、鳶などの猛禽を目力で追い払う位強くなってしまった。
(いかがなものかとは思うが、あの薬があって助かっているのも事実)
間崎哲馬さんは、土佐勤王党の人で、武市さんの側近でもある。
土佐藩で私塾を開いているほど学がある人だ。
そんな人が、龍馬さんとよく話が合うものだとは思う。
その間崎さんは、交流上手な人だった。武市さんについて江戸に在中している間、他藩の志士とよく話をし、交流を深めている。頭が柔らかい人なのだろう。
龍馬さんは、頭の柔らかい人が好きである。
なぜなら、龍馬さん自身が色々と奇妙なので、見た目にとらわれない柔軟な人の方が接しやすいからだ。
「龍馬と仲の良い中岡さんも、間崎さんに学んでいます。それほどの方と近づいているのは、まあ、喜ばしい事でしょう」
乙女様からの返信には、こういう文章があった。
中岡さんという名前には覚えがある。土佐の井口村で下士が上士を斬った事件の時、龍馬さんと一緒にいた人だ。
(ああ、あの、うざい位に世話好きな人ね)
あの面倒くささは、よく覚えている。
トモダチのトモダチもまた、トモダチ。
龍馬さんの交流の輪は、そんな具合に広がるようだ。中岡さんと仲が良いから、自然に間崎さんにも近づくことができた。
普通なら、こんな自分が近づいて良いのかとおじけづきそうなものだが、龍馬さんにはそれが全くない。
「攘夷の考え方には一理あるんだが、無為に血を流すのは無意味どころか、害にしかならない」
龍馬さんと間崎さんは、この部分では同じ考えを持っている。
「いやあ、学問を山ほどして、頭の良い間崎さんと、俺が、同じことを言っているのも、奇妙なことだなあ」
適当な店を選んで、間崎さんと軽く一杯酌み交わしながら、龍馬さんはよく、笑いながらこう言われる。
間崎さんは苦笑いして、ぼさぼさの頭で、くちゃくちゃになった着物を纏う龍馬さんを眺める。内心、本当にそうだと思っているのに違いない。
だが、決して間崎さんは龍馬さんを馬鹿にしているわけではないのだった。
変な見た目と行動の中で、龍馬さんは的確なことを喋る。その暢気な口ぶりが、場を和ます。自然、話はどんどん現実的な方向に向かいだす。
何でも、実現できるのではないかと、そんな雰囲気が濃厚となる。
(おもしろい、男)
かつて龍馬さんは、「おりょう」を「おもしろき女」と評した。
変な女、ということであるが、わたしもまた、今の龍馬さんを見て同じことを思う。
変な人なのだった。
「異国に勝つには、日本も黒船を手に入れるしかない」
不意に、間崎さんが言い出す。
龍馬さんはお酒を口に流し込んでから、「そうだそうだ」と、気楽そうに言った。
「まったくその通りで、俺もまた、同じことを考えていた」
どうだろう、こんなことを俺らだけで喋っていても何にもならん。
黒船を実際に手に入れることができるような人に会って、話をしてみるのが一番ではないだろうか。
龍馬さんは言い、間崎さんは手を打ってげたげた笑い「いやあそうだそうだ、そりゃそうだ、よっしゃこい」と陽気になった。
その時、間崎さんは完全に出来上がっていたのだと思われる。
しかしその翌日、龍馬さんは「誰に訴えれば良いかの」と、町を歩いていた間崎さんを捕まえ、いきなり話しかけたのだった。
「だって、言うたじゃん」
龍馬さんは真顔である。
「なんやてー」
間崎さんは愕然とした顔で、大きな龍馬さんを見上げている。
(かわいそうに)
内心、龍馬さんと仲良くなってしまった間崎さんに同情したくなる。
並木の影から見ているが、常識を知る間崎さんと、見るからに非常識な龍馬さんの組み合わせは目を引く。あまり、人目に付く場所に長居しない方が良いと思われるのだが。
間崎さんは龍馬さんの背中を押し、通りの隅に行った。
人の目を気にしたのだろう。
「誰がいいと思うんだよ、坂本さんは」
間崎さんはひそひそと言った。
(あっ、完全に龍馬さんに乗せられている)
きちんとした間崎さんが、龍馬さんの計画に便乗しようとしているので、わたしは驚いた。
本当にこの人たちは、「えらい人」に話をしに行こうと言うのだ。問題は、誰に話をしに行くかだろうけれど。
龍馬さんはにやりとしている。
間崎さんもその顔を見ているうちに、にやにやし始める。
阿吽の呼吸のごとく、二人は同時に言ったのだ。
「春嶽」
二人はわっと手を叩きあい、爆笑している。
やっぱりそうかあ。
そうだよなあ、そう思うよなあ。
わっしょーい、よっしゃこーい。
酒が入っているかと思うほどの陽気さで、良い年した男二人が道端ではしゃいでいるのだった。
一方わたしは、絶句していた。
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