第四部 始動

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 勝先生は、土佐藩をはじめ、尊王攘夷派の主義主張が「まとも」ではないと言ったも同然である。  「わしらは別に、斬りに来たわけでは」  龍馬さんが口を挟もうとしたが、「うそつき、その顔は人斬りの顔だよ、だまらっしゃーい」と、甲高く怒鳴られた。    (凄いなこの人)  わたしは頬杖をついていた。勝先生は竜巻のような勢いで持論を展開している。小さい体を布団の上に乗せて、がんがんと喋りたてては、時々どすんと平手で畳を殴る。    勝先生は、諸外国の強大さを語っておられる。そして、日本がそれに叶うわけがなく、そんな中で攘夷などしても、身の程知らずとしか言いようがない、といった内容を、熱弁された。  言っておられることは、龍馬さんが考えている海岸防衛強化と同じ路線なのだが、勝先生の喋る内容は、海外に出て実際に見てきた人の重みがあった。  「挙国一致。海軍創設。開国。交易」  ばしん、と、両手で畳を打って、勝先生は怒鳴ったのだった。  「他に、日本が生き延びる道があるってぇんなら、俺に教えてくれ。ええ、どうなんだよ君たち。なんか他に、考えある人、手をあげてー」  海のように深い沈黙が落ちた。  はあはあと勝先生は肩で息をしておられる。これだけ喋れば疲れるだろう。  一方、龍馬さんは、これまで見たことがないような、きらきらと輝く目をしていた。わなわなと体を震わせており、今にも泣きそうに見えたのだった。  大きな体の龍馬さんが、鼻息荒く立ち上がると、すっ飛んで勝先生の前に走り、畳の上を滑りこんで、土下座の姿勢になった。土下座した巨体は勢いよく畳を滑り、ごん、と、火鉢に頭が当たった。火鉢は倒れかけ、勝先生は慌ててそれを支えた。  「ちょっと君、非常識な。危ないじゃないかっ」  と、勝先生は仰天しておられる。  「先生」  全てを無視する勢いで、龍馬さんは顔を上げた。そんな顔の龍馬さんを、わたしは始めて見たのである。  「わしを生徒にしてくださらんか。先生に惚れ申した」  勝先生は、口を半開きにして、土下座する龍馬さんを見下ろしたのだった。 **  文久二年の師走は、龍馬さんにとって運命的な月だったと思う。  この月、龍馬さんは勝海舟様に大いに感銘を受け、お会いしたその日のうちに入門してしまった。一緒に勝先生を訪れた二人の同志も道連れにしてしまっている。    「一体、これからどうなるんだろう」  「いや、これで正しいんだよ」  熱くなって話にならない龍馬さんをよそに、近藤さんと門田さんは話し合っている。  近藤さんはぼそりと言ったのだった。  「武市さんの考え方より、こっちのほうが、俺は好きだ。俺はこっちに行くよ」  それから間もなく、勝先生は幕府の命令で、順動丸という軍艦に乗り、関西に出張してしまった。  それを知った龍馬さんは、まるで恋人を追いかける如く、居てもたってもいられなくなり、凄い勢いで旅支度を始めたのだった。  「勝先生の宿所に行きます。今は少しの無駄もしたくない。先生の側で、学ぶことがたくさんある」  千葉定吉氏と、重太郎氏に、別れの挨拶をする龍馬さんを、さな子さんは無言で見つめていた。  ついにこの時が来たと思っているのだろう。  (この間、思う存分、龍馬さんを打ち据えておいて良かったですね)  わたしは思った。  住み慣れた四畳半で、無いに等しい荷物を包みにまとめながら、龍馬さんは、ふとわたしを見る。  わたしは相変わらず、以蔵君似の変装をしているのだが、龍馬さんの目は静かに微笑んでいるように見えた。    やはり、分かっているのだろうか、と、思う。  「以蔵。お前もついて来るかよ」  と、龍馬さんは言った。  願ってもないことだ。もちろんわたしは、頷いたのである。  (乙女様。いよいよ、面白くなってまいりましたよ)
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