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第五部 臭い漢の日本洗濯
その一 寺田屋
文久2年の師走、龍馬さんは勝先生を追って江戸を出て以来、人集めに奔走しておられる。
勝先生は幕府から許可を得て、ご自身の海軍強化策を説くための私塾を持っておられた。この私塾は大坂にあり、いまいち人気がなかった。勝先生の情熱も虚しく、閑古鳥状態だったのである。
その私塾に入門した龍馬さんだが、いざ行ってみると、塾の建物の屋根にはぺんぺん草が生え、建屋の中には隙間風が吹き荒れる上に、ほんの数名の塾生が黙々と航海術の本を読んでいるだけの有様だった。
「こりゃあ・・・・・・」
絶句し、うなじをがりがりむしる龍馬さんである。
師走に勝先生の出張先の兵庫に着いたと思ったら、また勝先生は江戸に戻ってゆくし、龍馬さんは龍馬さんで大坂の私塾に走ってゆくしで、つくづく落ち着きのない師弟なのだった。
大坂の海軍塾、と聞いた瞬間、龍馬さんはきらきらと目を輝かせ、神を崇めるかのように勝先生を仰いだものである。
「海軍塾ですか。そんな良いものがあるなんて、知りませんでしたア」
一方、勝先生は何とも言えない顔で「マアー、行きたいなら行けば。俺もなるべく顔を出すようにするし」と、いまいち冴えないご様子だった。
「幕府海軍の立ち上げのためにも、海軍操練所は必要だと説いているんだがね。俺の私塾をまず繁盛させて、実績を見せにゃあ、幕府は動いちゃくれねえよなあ」
ぶつぶつ呟いていたが、龍馬さんの耳に届いていたかどうか。
(勝先生が頭を抱えるのも無理はない。この有様じゃあ)
わたしは、龍馬さんの横で、悲惨な有様の私塾を眺めていた。カラスの海は、うさんくさそうな目つきで龍馬さんを眺めている。
あるじ。まあた、この男、ろくでもないもんに関わってますぜ。
海は、そう言いたげだ。
門前で立ち尽くし、中に入ってまた立ち尽くし、とりあえず閑散とした畳の間に座り、そこらにある書物を広げてみて、呆然としている龍馬さんである。
書物に抵抗があるのは、今も変わらないらしい。
少し読んだが「うがあ」と頭を抱えた。それから、いきなり立ち上がると、塾の外に出たのだった。
海はわたしの懐から顔を出し、「ほうれ見ろ」とでも言いたげである。
「あるじ。あいつに学問なんかできると思いますかね」
けっ。小さく海は鳴いた。
海は、どうも龍馬さんが嫌いなようだ。嫌いと言うより、今までの経緯から馬鹿にしているのかもしれない。
一方、龍馬さんは塾の外に出てゆくと、そのまま大坂の町をがしがしと歩き始めたのである。
懐で腕組みをし、着物の袖をぶらぶらと揺らしながら、ろくに前も見ずに進んでいる。おかげで、何度も人とぶつかっていた。
「人を集めにゃいかん」
と、龍馬さんは言った。そして、横にくっついて歩くわたしを見て、再度言った。
「人集めじゃ。ありったけの知り合いに当たってみるしかない」
ハアー。
歩いて行く龍馬さんの後姿を眺め、ため息が出た。
龍馬さんの知り合いというと、土佐の人か。
そのまま、旅の準備など一切せず、まるでそこいらを散歩するかのような様子で、龍馬さんは大坂を出た。
行き先は京都だろう。武市さんは昨年末に江戸での役目を終えて京都に入っているし、土佐勤王党の面々もたくさん京都にいるはずだからだ。
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