藤原宮子

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藤原宮子

私は、藤原宮子。 藤原不比等の長女として生まれ、 母は賀茂比売。 聖武天皇の皇后光明子は 異母妹であり、 義理の親子関係にも当たる。 史上初めて生前に正一位に叙され 史上初めて女性で正一位に叙され 皇后でも皇太后でもなかったが、 史上初の太皇太后 (たいこうたいごう)となった、私。 位人臣を極めた人、 と人はいうのかもしれない。 しかし、 それは幸せなことなのかしら? と、私は思う。 私は、 ただ父や周りの者に言われるまま 珂瑠皇子様のお側に上がった。 珂瑠皇子様は、とてもお優しくて お側にいられるのは嬉しかった。 ただ、 皇子様はいつもお疲れのようで お悩みが多いようにお見受けした。 「宮子は、 いつも笑っていればいいのだ。 宮子の笑顔を見るのだけが、 私の安らぎなのだ。」と 皇子様はおっしゃった。 私は、難しい政(まつりごと)のことは、分からない。 ただ、 皇子様のお疲れが和らぐように、 花を摘み、 笑って いつもお迎えできるように それだけを考えていた。 幼い頃から、 ご一緒に育ったので、 皇子様は尊い方だけれども 気兼ねなく接していた。 皇子様もそうして欲しいと おっしゃった。 私は人見知りで、 人の多い処も苦手だった。 頭が痛くなるのだ。 皇子様も同じで、 だから、ふたりで共に本を読んだり 庭を散策したりするのが好きだった。 いつまでも、 子どものように そうしていられたら 良かったのに… でも、 周りはそれを許してはくれなかった。 皇子様は、 他の女人を妃に迎え、 政務に携わるようになっていった。 私の元にお出でになる時は、 いつも、お疲れのご様子。 お顔の色も優れず、心配だった。 やがて、 私は身籠もり 大宝元年(701年) 首(おびと)皇子 (後の聖武天皇)を出産した。 皇子様も家族も大層な喜びに包まれたが、 私は、心を病んでしまった。 何を見ても空しく、 なぜここに居るのかも分からず なぜ、生きているのかも 分からなかった。 皇子様が、 若くしてお隠れになられても 私は、泣いたのだろうか? それさえも、 夢とも、現(うつつ)とも分からずに 過ごしていたように思う。 私は、 ただの平凡な娘に過ぎなかったのに、 大きすぎる役目に 押しつぶされてしまったのだ。 いや、 ただそこに居ただけなのかもしれない。 皇子様も、きっと、そう。 ようやく病が癒えて、 息子と会えたのは、 ずいぶん時間が経ってからだった。 夫である皇子様も両親も亡くなり、 兄弟が亡くなっても、 まだ、私は、生きていた。 孫娘の阿部内親王が 孝謙天皇として即位したので、 欲しくもない位はさらに上がり、 「太皇太后(たいこうたいごう)」 となった。 独身の娘が天皇になる…。 それは、喜ぶことなのだろうか? 私には、 苦労だけが待っているように思え、 阿部内親王が不憫だった。 それは、歳をとったせいなのか。 もう、欲しいものなど何もない。 早く、 皇子様の処へ参るのだけが 私の望だった。
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