女として

1/1
前へ
/21ページ
次へ

女として

阿部内親王は、 私(元正上皇)から見れば 弟の孫に当たる。 同じ天武天皇の系譜とはいえ、 母方の血筋が重んじられる当時としては、 蘇我氏の家刀自の私と 藤原氏の希望である阿部内親王とは 好敵手とは言えないものの (年齢が違い過ぎて敵にもならない) 近くて遠い存在だった。 かつて、 即位の詔で 『我子』と呼んで励ました 聖武天皇が譲位し 天平勝宝元年(749年) 阿部内親王は、 孝徳天皇として即位した。 同じ未婚の女性天皇とはいえ、 私と孝徳天皇は、 全く違った存在だった。 私は、 蘇我一族の家刀自として、 次の世代へ蘇我の血を引き継ぐための いわば“中継ぎ”が役割であった。 結局、私の代で、 蘇我の血は絶えてしまったが。 一方、 孝徳天皇は、 これから登りゆく 太陽の一族藤原氏の象徴であり、 希望だった。 かつて、 私の前で、 五節の舞を舞った阿部内親王は 大変晴れがましい姿だった。 登りゆく太陽の藤原氏と 沈みゆく太陽の蘇我氏。 その血を絶やしてしまったことに、 祖先に対しては、 大変申し訳ない思いがある。 だが、清々しい思いもあることも、 また確かなのだ。 なのに… 希望に満ちているはずの 阿部内親王(孝徳天皇)に 女人として生きるあり方に 迷いが見えるような気がするのは、 なぜだろうか。 幾たびもの皇太子の変更。 クーデター、反乱。 僧侶との醜聞や強制改名など。 天皇家の威信が 地に落ちかねない出来事が起こっていた。 無理をして、 女性の身ながら即位したつけなのか、 それとも、 男たちの権力争いに翻弄されてしまった結果なのか。 阿部内親王が即位した時には、 すでにこの世の者ではなくなっていた私に分かろうはずはないのだが。 女としての幸せと、 天皇としての幸せは 両立しないものなのだろうか…。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加