日本の家刀自として

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日本の家刀自として

晩年になって… 皇族の中の 蘇我一族は絶え、 残っているのは 私だけになった… 蘇我氏も藤原氏も 一族の繁栄のため 多くの血を流してきた。 そのことで得られた権力で 誰か幸せになっただろうか? 首皇子に位を譲り、 聖武天皇となった時、 私の 蘇我氏の家刀自としての 役目は終わった。 聖武は、 藤原の血を引いていることに 劣等感を 拭いきれずにいたようだ。 何度も 「我が子」と呼び励ましたが。 太上天皇として、 聖武をはじめ、 国の民は 皆我が子と考えれば、 すべての民が健やかであること 幸せであるように それを祈ることが “日本国の家刀自”としての 私の勤めなのだ と思うようになった。 人は、 これからも 争いを止めないのであろう。 人を貶め、 人の不幸の上に築く幸せなど 砂上の楼閣でしかないことを いつか、 分かる日が 来るのであろうか。 私には、 もう何の力もなく、 出来ることは、 民の幸せを祈るのみ。 後世の人は、 天智天皇 天武天皇 持統天皇 孝徳天皇など 大きな仕事を成し遂げた方や 大きな事件、 乱などを起こした方の名は 記憶するのであろう。 しかし、 “元正天皇”などという 未婚の女性天皇がいたことなど 恐らく誰も 記憶しないに違いない。 私は、 大きな仕事を 成し遂げなかった代わりに、 人を貶めたり 殺めたりすることもなかった。 私は、 ただ自分に課せられた義務を 果たしただけだ。 だから、 歴史の中に埋もれて、 それで良いのだ。 もし、 また生まれてくることがあるならば、 また、 平凡な人生でありたい。 出来うることなら、 次は、 想い合う方と 添い遂げる人生でありたいとは、 思う。 天平20年4月21日 崩御 (748年5月22日)
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