薬猟(くすりがり)

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薬猟(くすりがり)

まだ、 持統のおばあさまが ご健在の頃のこと… その日は、 晴れ渡り 心地よい風の吹く 夏の日だった。 旧暦5月 恒例の薬猟(くすりがり)の日だ。 男たちは若い鹿を狩り、 その角を取った。 鹿茸(ろくじょう)にするためである。 女や子どもは、 蓬や菖蒲、紫草などの 薬草を採った。 「ねぇ、おねえさま、 この草の花は白いのに、 なぜ、“紫草”というの?」 まだ幼い珂瑠皇子は、 姉たちと共に 薬草を採っていた。 「珂瑠皇子、 その草は、 花は白いが根が紫色なんだよ。 その根が、傷を治すのに使われる 紫根になるんだ。 だから、紫草というのさ。 “群れて咲く”からという説も あるみたいだけど…」 私の代わりに、 側に居た長屋王が答えた。 「長屋のお兄さまは、 何でもよくご存知だね。 すごいなぁ。」 「もう少し大きくなったら、 今度は、一緒に 鹿を狩りに行かれるように 弓の鍛錬もしようね。」 「私は、お兄さまと違って、 身体を動かすことは、 苦手だからなぁ…」 と、しぶる珂瑠皇子。 「だれでも、 初めは上手くいかないさ。 大丈夫だよ。 もっと、健康になるためにも 身体を動かした方がいい。 私が教えて上げるから…」 「珂瑠皇子、良かったわね。 長屋のお兄さまに教えていただけば、 きっと、すぐに上達するわ。 私も男だったら、良かったのに… 草を摘むより、 鹿を狩る方が楽しそうだわ。」 と、私(氷高皇女)が言うと 「ひめみこは、 お淑やかな女人かと 思っておりましたが、 見かけによらず お転婆なのですね。」 と、長屋王は笑って答えた。 珂瑠皇子は、 紫草をたくさん取ると 「この花は小さいけど、 たくさん集めると、可愛らしいね。 宮子にあげようかな…」 珂瑠皇子の乳母である 県犬養三千代の夫 藤原不比等の娘、宮子と 珂瑠皇子は馴染みであった。 「そういえば、宮子さんは 今日はいらっしゃらないのね。」 「宮子は、 外に出たり人の多いのは、 あんまり好まないんだ。」 「そうなの…、 外に出た方が気持ちいいのにね。」 と、吉備は言った。 そういえば、 宮子を見かけることは少ないなと、 私も思った。 直接話したこともほとんどなく、 数えるくらいしか 宮子を見たことはないが、 幼げな少女の中に 大人の妖艶さのような ものを感じさせる 不思議な娘、 という印象があった。 そんなところを、 珂瑠皇子は 気に入っているのかしら? と、私は思った。 美しいけれど、 妖しい魅力を持つ娘。 私は、 なぜだかわからぬ 不安の影を 珂瑠皇子に感じた。 宮子とは睦まじいが、 他の娘とは、 中々馴染もうとしない という話も 母から聞いていた。 もう少し大人になれば 変わるかもしれない。 いずれ、皇位を継ぐ皇子。 そうでなくては、困るわ。 私は、無理にでも、 不安を打ち消すのだった。
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