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良平のいない数日、生駒はちょいちょい顔を出した。
クールビズ仕様の普段着だったり、客先へ出向くスーツだったり、日によって様々な生駒を見ていると、貴広は昔を思い出す。
微妙なライバル関係で始まった。何と言っても、同期なのだ。取引先が被ったときは協力関係だったり。公私ともに交わりができた。歳は違ったが考え方が少し似ていて、一緒にいても齟齬がなくて。
たびたび一緒に仕事をするうち、最大の共通点――マイノリティであること――を知り、そこからは。
つき合っていた……と、思えなくもなかった頃。
不思議と組まされることが多かった。ふたりでマレーシアへ行った。フィリピンにも行った。
出張先で現採組と意見が合わず、ケンカもした。どちらも折れず、最後には貴広たち出張組と、彼ら現採組とで飲み比べをして大勝ちし、有無を言わさず意見を通して、ついに仲良くなったものだ。
商談をまとめて桁の違う利益をふたりで出したときには、デカいボーナスで日程を合わせてセブに行った。
「そうだ。そんなこともあったよな」
「何でプライベートでまで東南アジア行ったんだ、俺ら。ヨーロッパでもどこでも、仕事関係ないとこ行けばよかったじゃねえか」
「お前が言ったんだろ。『時差がタリィし、仕事に勝って寒いトコ行きたくねえ』って」
「そうか、そうだったな」
仕事終わりに寄った生駒は、コーヒーが出ない工事中の「喫茶トラジャ」に、デリバリーでコーヒーの出前をさせた。出前コーヒーもまあ悪くないが、紙コップの味がするのが残念だ。
「バンガローでメシ食ったな。あんときのフランス料理、旨かった」
生駒はそう言って屈託なく笑った。
「よく覚えてんな」
「ふたりでワイン飲み過ぎて、グダグダになって。アッチはすっかりダメんなってさ」
幾ら若くても、あれだけ飲めば。
「みっともないし悔しいのに、何かヘンなスイッチ入って、笑い転げて。何がおかしいのか全然分からんのに、止まらなくて――」
生駒はケラケラと笑う。
それはそれなりに、楽しかった日々。
若かった日々。怖いものなど何もなくて。
「俺たちはいつまでもこんな風に、自由に生きてくんだと思ってたな」
貴広は腕を組んで頷いた。
「ああ、思ってた」
「ま、俺は今でも自由だけど」
そううそぶいた生駒のポケットでスマホが鳴る。
「あ、お嬢からLINEだ」
取り出したスマホの画面を指で数度叩き、生駒は出てきた画像を貴広へ向けた。
「また買いものの相談だよ。今度はマイセンのティーセットだって。お前、こういうの分かる? 喫茶店のご店主さまだし」
貴広はスマホを向ける生駒の手を遮った。
「俺に見せようとすんなよ。無神経だな」
貴広の苦い表情に、生駒は素直に手を引っ込めた。
「そうか。そうだよな」
「俺なんかより、現役商社マンのお前の方が、価値とか相場とか分かんじゃないの」
「いや、俺、農産物とか石とかしかやったことないから。文化的なものは全く分からんのよ」
生駒は「どれ……」と呟いて、パタパタと指で返信を打った。
その様子を向かいで眺めていた貴広は、コーヒーをひと口飲んで言った。
「お前は奥さん大事にしてんだな。意外だわ」
生駒は「何でよ」と眉を上げた。
「俺、そんなに人格破壊されてるように見えてた?」
「破壊されてっだろ。エゴイストだもんな」
生駒は大きく頷いた。
「エゴイストだなあ。まあ、お嬢と結婚したのも、俺のワガママだもんな」
聞きたくないのに貴広は、生駒が何を言うのか、ついつい耳を傾けてしまう。
「このひとはねえ、可愛いひとだよ。俺なんかには、もったいないんだな。だから俺は、罪滅ぼしに金を稼いで持ち帰るよ」
M商事の上役の令嬢なら、出世には大きいアドバンテージだろう。そのせいでおかしな任務を仰せつかることがあっても、無事クリアした際にはまた大きな点数が入る。
生駒は今や、巨大商社M商事の、未来の役員候補だ。
貴広は、ずっと疑問だったことを口にした。
「お前……女は、大丈夫なのか」
作業中の職人さんたちの耳に入らないよう、小さな声で。
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