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一話完結・読切
駅近のタテ長の雑居ビル。コンクリート打ちっぱなしの階段を地下に向かい酒場へ。
メタリックな扉を開くなり、ナギサとサヨリは、カウンターの真ん中の席を勝手に陣取る。
まだ浅い時間だ。マスターが1人で切り盛りするシンプルで小さな店内には、他に客はいなかった。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから、マスターが、落ち着いた涼しい声をかける。
パリッとした白いシャツにカマーベストと蝶タイ。後ろにピッチリなでつけたタイトな黒髪。
お手本のように古式ゆかしい昔ながらのバーテンダーのいでたちだが、最寄りの商社につとめる20代なかばのOL2人と変わらない年頃に見える。
背の高いスツールに腰かけると間もなく「いつもの」ロングカクテルが自動的に提供される優越感に満足しながら、
「ありがとう、マスター!」
と、無口でポーカーフェイスなバーテンダーから貴重な会釈を引き出す言葉を元気に投げかけたのがナギサである。
オフィスのムードメーカーだと多くの社員たちに評されるだけあって、明るいブリーチのショートカットとカジュアルなパンツスタイルが良く似合う。
鮮やかなメロンのリキュールの色をたたえるグラスを手に持ち、隣の同僚に向かってかかげた。
「ではでは。今週もお疲れー。カンパーイ!」
「そういう気分じゃないんだってばぁ」
テーブルに重ねた両手の上にほっそりしたアゴを乗せたお行儀のよくない格好で、サヨリは、スネた声をもらした。
目の前のグラスの中、シュワシュワはじけるソーダの下に沈む赤いザクロのシロップをうらめしげにニラみながら。
オフィスビルのロビーの窓口で、いわゆる受付嬢をつとめるサヨリは、"フェミニン"と言う形容がピッタリの装いとメイクの女性だ。
肩のあたりで切りそろえられたツヤヤカで真っすぐな黒髪は、下世話な言い方をすれば、『男好きのするタイプ』の典型といったところだ。
ナギサは、オオゲサに肩をすくめ、フルーティーなカクテルをヒトクチすすった。それから、したりげにニンマリ笑う。
「やっぱりねぇ。グチを聞かせたいわけか。よしよし。言ってみ?」
「やっぱり、って? どういう意味よ」
「大学時代からの憧れのセンパイに6年越しの告白が実って、まだ2か月もたってないのに。せっかくの週末の夜にアタシを誘うなんてさぁ。おかしいと思うじゃん」
「もう、付き合ってなんかないし」
「は? ウソでしょ! もう別れたの?」
「うん」
「なんでよ!」
ナギサは、テーブルに軽く平手打ちしてから、ハッと目を見開き、
「そういえばアンタ、ついこないだ、彼にもらったばかりのヌイグルミにカレーをブッカケて、仕方なくゴミの日に捨てたって騒いでたけど」
「う……っ」
「まさか! そんなのが原因で彼にフラれたってワケぇ? うわぁ、ちっせぇ男! 別れて正解だよ」
「ちがーう! フッたのはアタシだもん」
サヨリは、イキオイよく頭を起こした。
ナギサは、キョトンと小首をかしげて、
「なんでよ? アンタ、"こんなにアタシのこと理解してくれて頼りになる人、他には絶対いなーい"って、さんざんノロケ散らかしてたじゃん!」
と、少し鼻にかかったカン高い声の特徴を完コピしてみせる。
サヨリは、なめらかな頬をプッと子供のようにふくらませて、上目づかいにナギサをニラんだ。
「アタシ、だまされてたの。全部、アイツのお芝居だったんだってば」
「は? どゆこと? ってか、そもそもアンタたちが急接近したのって、アンタがストーカーに付きまとわれてる気がするってSNSにグチってるのを見かけた先輩が、めっちゃ心配して相談に乗ってくれるようになったのがキッカケじゃん」
「だから、そのときからもう、何もかも仕組まれてたのよ!」
「え、意味わかんない。……アンタがストーカーの気配を感じるようになったのって、半年ちかく前だっけ?」
「うん。今のマンションに引っ越してからよ」
「そうそう! 引っ越した先が、たまたま、憧れの先輩の会社の独身寮の目の前だったって。アンタ、すっごいハシャイでたっけ」
「たまたま……じゃないし……」
「ってことは、アンタ、最初から、先輩の独身寮の真ん前のマンションを狙って、引っ越ししたわけ?」
「だって……近所に住んだら、駅とかコンビニとかで、きっとバッタリ出会う機会が必ずあるでしょ? しょーがないでしょ? ずっと憧れだったんだもん!」
「アンタのほうが、よっぽどストーカーに思えるんですけど……」
「ア、アタシじゃないもん! ストーカーは、先輩のほう!」
サヨリは、フルフルと頭を左右に振ってから、目の前のグラスをゴクゴクと半分ほどイッキに飲み干し「プハーッ」と盛大に息をついた。
思わず上体をのけぞらせると、サヨリから離れた方の手で頬杖をついたナギサは、ナチュラルな柳眉をしかめながら、
「じゃあ、残業帰りの駅からマンションまで足音がずっとついてくるだとか、郵便物がイジクリまわされた形跡があったりだとか、使いかけの化粧品いつの間にかなくなってるだとか……アンタがいってた"ストーカー被害"の犯人って、先輩だったってこと?」
「そうよ! いかにも親身になって相談してくれるフリして。心の中でニヤニヤしてたんだわ」
「うへぇ。それがマジならゾッとしちゃうけど。でも、自分のことを何から何まで理解してくれる優しい彼が、実はストーカーだったってオチ、ヒトコワ系の怪談ではアリガチっちゃアリガチだよね」
「そうよ! ストーカーだからこそ、アタシのこと何から何まで調査済みだったってわけよ」
「でもさぁ。なんで分かったの? 先輩がストーカーだったって」
「ヌイグルミのおかげよ」
「ヌイグルミって……アンタがカレーをナベごとブチまけて、ダイナシにしちゃったヤツでしょ? どうしたら、そんな器用なマネができるのか、想像もつかないけど」
「う、うっさいわね」
「まあまあ。"ドジっ子"なとこも、サヨリちゃんの愛されポイントだからねぇ」
ナギサは、からかうようにサヨリの頭のテッペンをポンポンとなでてから、
「……ってか、それ、つい昨日の朝じゃん? アンタがヌイグルミを"燃えるゴミ"に出したって騒いでたの。"先輩に嫌われちゃーう"って、泣きそうな悲鳴あげてたくせに。なんで今日になったら、もう"別れた"って話になってんの?」
サヨリは、カバー力に定評のあるブルーベース仕様のファンデーションごしに真っ青に顔色を変えると、
「今朝、マンションの管理人さんが、そのヌイグルミのことで、ウチに文句を言いにきたのよ」
「え、なんで?」
「"燃えるゴミ"と"燃えないゴミ"は、ちゃんと分別してもらわなきゃ困る、って。アタシの捨てたヌイグルミを、わざわざ持ってきたんだから!」
「ヌイグルミって、"燃えるゴミ"でOKじゃないん?」
ナギサは、無邪気に問い返す。
サヨリは、無言で、隣のスツールに置いていたハンドバッグを引き寄せ、スマートフォンを取り出した。
写真フォルダを開くと、ディスプレイを上向きにしてテーブルに置く。
2枚並んだ写真画像には、カレーの色に全身まみれた白いテディベアと、ボタン電池のような形状の小さな電子部品が、それぞれ映っていた。
さらに目をこらせば、テディベアの片方の目のあたりが引き裂かれて、中の綿が少しハミ出している。
ナギサは、ハッとなった。
「これ、まさか、盗撮カメラ? 先輩がくれたヌイグルミに、盗撮カメラが仕込まれてた……ってこと?」
「そうよ。これで分かったでしょ? ストーカーの正体は、先輩だって!」
サヨリは、さながら舞台女優めいた口調で言い放つと、グラスの残りをイッキにあおり、
「アタシ、この画像を送りつけてやったのよ。そしたら、すぐに返信がきたんだけど。先輩ったら、自分がストーカーだって、ちっとも認めないの」
「あらら。意外と往生際が悪いねぇ」
「それどころか、"盗撮カメラを仕込んだのは、サヨリの部屋に侵入しているストーカーを暴くためだったんだ"なんて。"黙ってたのは本当に悪かったと反省してるけど、本当に君を守りたい一心だった。ストーカーはオレじゃない"って、とんでもない言い逃れをするんだよ!」
サヨリは、クスンと鼻をすすった。
異様な2人の沈黙を見かねたように、カウンターの向こう側からマスターがスッと手を伸ばした。空になったサヨリのグラスを片付けるのと入れ違いに、流れるように新しいロンググラスを置く。
今度のは、淡いスミレ色の華やかなフィズだ。
そして、控えめな声量で声をかける。
「スイマセン。つい、お話が耳に入ってしまったんですが。……おかしいと思いませんか?」
「え?」
「何が?」
サヨリとナギサは、同時にキョトンと顔を正面に向けた。
マスターは、淡白な細面に、ささやかな微苦笑を浮かべると、
「ヌイグルミをそのままゴミ袋に放り込んで捨てたのかな、と不思議に思って。付き合いはじめたばかりの恋人からもらった大事なプレゼントでしょ? しかも、彼は目の前の社員寮に住んでるんですよね? ゴミ捨て場にヌイグルミを出したことを、彼に見られる可能性を考えなかったのかな、って。サヨリさんは、そういう細やかな気づかいのできる女性だとお見受けしてましたもので」
「も、もちろん! 万が一、先輩が通勤途中にゴミ捨て場を見かけて、ヌイグルミがあるのを目撃しちゃったら、絶対にショックだろうなと思ったから、アタシ、おっきい紙の袋にヌイグルミを包んでから、ゴミ袋に入れたのよ。ほら、半透明の。地域指定のゴミ袋に」
「ですよね。やっぱり」
マスターは、我が意を得たりとうなずいて見せてから、たたみかける。
「だとしたら、管理人さんは、どうやってゴミ袋の中にヌイグルミが入ってたことを知ったんでしょうねぇ?」
「たしかに。ってか、もしも仮に、ヌイグルミがそのままゴミ捨て場に捨ててあったとしたって、ヌイグルミの目の中に盗撮カメラが仕込まれてたなんてフツーは考えない……」
とナギサが興奮して息まきだした途中、テーブルの上のスマートフォンがブルルッと震えた。
ナギサとサヨリは、同時にビクッと肩をはずませ、顔を見合わせた。
サヨリは、パールピンクに爪を染めた細い指先で、一瞬の逡巡の後にディスプレイをタップした。
メッセージアプリを開き、"先輩"からの着信内容を表示する。
『サヨリ、今すぐ、これを見てくれ!』
間髪入れずブルルッとスマートフォンが震えると、今度は動画ファイルが送られてきた。
カタズをのんで見守るナギサの真剣な顔にうながされ、サヨリは、覚悟を決めてファイルをタップした。
ディスプレイいっぱいに、たちまち映像が再生される。
フローリングの室内。白とピンクの可愛らしいコーディネートで統一されており、若い独身女性の部屋だということが一目で分かる。
その無人の室内の右側から、すぐに人影があらわれた。
モスグリーンのツナギの作業服を着た、中肉中背の男性。
勝手知ったる遠慮のないシグサでスタスタと室内を歩きまわると、サイドボードの上のメイクボックスを開ける。
そのままメイクボックスの中をゴソゴソといじくりまわしているが、ディスプレイに映るアングルは男の背中なので、何をしているのかはハッキリ分からない。
シークバーが3分ほどを過ぎたところで、男がメイクボックスのフタを閉じると、後ろを振り返った。
小ざっぱりした短髪で、真面目で実直そうな中年男性の容貌が明確になる。
キョロキョロと周囲を見わたしていたかと思うと、突然、ハッとこちら側を見すえた。
サヨリとナギサは、リアルタイムで男と目が合ったような錯覚を覚え、ギクリと全身をこわばらせた。
男は、ジリジリと、こちらに近付いてくる。
途中で男の上体の位置が下に下がったのは、ベッドにヒザを乗せたからだろうと、サヨリは察した。
くだんのヌイグルミは、ベッドの脇に重ねたクッションの上に座らせて置いてあったのだから。
男の顔が近付き大きくなってくると、その薄いクチビルが異様にテラテラと濡れて光っているのまで鮮明に見えた。
サヨリは、かすれる声で吐き捨てた。
「管理人……さん!」
そして、卓上の紙ナプキンを全部まとめて引ったくると、ディスプレイの中の男のクチビルと完全に同じ色にツヤめいている自分のクチビルを、血がにじむほど乱暴に、何度もゴシゴシとぬぐった。
オワリ
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