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35.はらぺこサキュバスと性欲の強い男エルフの約束
「そうですか……親御さんが来る……そ、そうですか……」
ハーブティの湯気の向こうでレイモンドさんが片手で顔を抑えて天を仰いだ。宿の簡素な椅子に腰かけて思案に暮れる姿はこんな時でも彫刻のように完成されてるんだなあと他人事みたいにわたしは思う。
「君がサキュバスだということを私はよく忘れがちですが……、その前に君がサキュバスであっても親御さんに大事に育てられた娘さんであることを頭に入れていませんでしたね……そんな大事な娘さんに私は……わかりました。逃げずにちゃんと怒られましょう……」
「ま、待ってください。うちの親が来ようとしてる理由、それとは違うので! わたし、サキュバスなのでレイモンドさんじゃなかったとしても精気は男の人から採らなきゃならないんですよ! わたしはサキュバスなんです! また忘れてます!」
レイモンドさんが思考の海に呑まれてしまう前にわたしは彼を現実に引き戻す。
「違う理由で? 一体なんでしょう。サキュバスの知り合いはシルキィ君以外にはいないと思ったのですが……」
「えっと、わたし、お父さんいないんですけど。今お母さんに恋人がいてその人がお父さん代わりって感じなんですけども。その人が、レイモンドさんが生まれたころの森林大迷宮にいたらしくて、レイモンドさんのこと知ってるかもしれないって言ってるんですよ。だからちょっと会って確認したいらしくて……。心当たり、ありませんか?」
わたしが尋ねると、レイモンドさんは長い睫毛をぱちくりと瞬かせてちょっと驚いたようだった。
「男の人……ということはインキュバスですよね。インキュバスはサキュバス以上に接点はありませんが、私も物心つく前のことはわからないのでそれが本当なら赤ん坊のころに会ったということでしょうか……。話してはいませんでしたが私も親がいなくて、子供の時に私一人だけエルフの里に届けられたらしいのですよね。もしかしたら私の親のことを知っているということなのかな……。というかすごく長生きなんですね。その方。もしかしてシルキィ君も結構長く生きるんでしょうか」
「そうですね。わたしは十九なので今はまだ人間と同じくらいだけど、来年あたりから成長が止まってこのままの姿で長く生きると思います」
「そうですか……」
レイモンドさんは自分の顎を撫でながらわたしの全身を見回して何か考えているようだった。何を考えているのかはわからないけどちょっと恥ずかしくなる。けど、レイモンドさんの昔の話がちょっと聞けたのは嬉しいな。
「さっきも先走って言いましたが、私もその方に会いたいと思います。シルキィ君の親御さんに会うことについては少し怖気づくことはあります。自分より年が上の人に会うこと自体ものすごく久しぶりですしね……けれど、自分の出自を知っているかもしれない方には興味があるので。次の休みの日にでも会わせていただきましょうか。私から向かったほうが礼儀としてはいいのかな?」
レイモンドさんがお母さんたちに会うことに積極的になってくれたのでほっとした。もしかしたら嫌がるかもしれないと思ったので。
「こちらの世界の住人がサキュバス界に来た前例はないので、あっちから来ると思います。大人のインキュバスとサキュバスは簡単に行き来できるのであまり気にしないでください」
わたしはまだ付き添いがないと行き来できないけど。
「凄いんですね……。それでは厚意に甘えさせていただきましょう。是非会いたいと言っていると伝えて欲しいです」
大事な用事が一つ先にすすんだ。だけどわたしにはもう一つ言わなければならないことが残っている。
「あと、えっと、わたし、もしかしたら一回サキュバス界に帰る必要があるかもしれないんです。本当はもっと早く受けていないといけなかった試験があるんですけど、わたしがなかなか催眠能力に目覚めなかったので受けていなくって。一人前のサキュバスとして催眠を使いこなすのに必要となるので、レイモンドさんの狂化を治すためにも一旦帰らないといけないです。もしそうなったら、レイモンドさんはわたしなしでしばらく性欲とつき合わないといけなくなっちゃうんですけど……」
もしかしたら、なんてあいまいな言い方をしてしまったけど、たぶん、帰らなきゃならない。そうしないと、レイモンドさんを治してあげられないから。
「それは、うーん。まあ、煙草もあるし、自慰もその……できるようになったので絶対無理というわけではないですが。淫紋はどうします? 感覚が繋がったままなので、シルキィ君が大事なことをしている時に私がその、自慰とかしてしまったら君は困ってしまうんじゃないでしょうか」
「お母さんが契約を一旦凍結する方法を知ってると思うので、戻ってくるまで感覚の共有を切っておくことはできると思います。お互いが切りたがっているわけじゃないので、再会したら元通りつながると思うんですけど」
「なるほど。それなら何とかなるかもしれませんね。ずっと繋がっていたものがなくなるのは少し寂しく感じますが」
少し?
「少しじゃないですよ……」
「え?」
「少しじゃないです……。わたし、レイモンドさんと離れるのすごく寂しいです……」
言いながら、じわっと涙が出てきてぽたぽたと溢れた。
昨日わたしは水鏡の桶の前でめそめそしながらぐるぐる考えて、次の日にやっとこうしてレイモンドさんの部屋に来ることができた。レイモンドさんがわたしの親に会うのを嫌がるんじゃないかということもそうだけど、何より契約を凍結して離れ離れになることが辛くて、でもそれは彼を苦しみから解放するために必要で、だから覚悟しなくちゃって、レイモンドさんの前で泣いちゃダメって思ってたのに、やっぱり泣いちゃった……。
「わ、わたしとレイモンドさんを繋いでるものって、この契約しかないからっ……。レイモンドさん、とっても素敵な人だしっ……。わたしがいない間に、別の誰かがレイモンドさんのこと治しちゃったら、わたし、いらなくなっちゃうんじゃないかとか、考えちゃって……。ひっく……。レイモンドさんが、治るならそれでいいはずなのにっ。わたし、悪い子なのかもしれないって思って……怖くなっちゃって……っ」
「シルキィ君……」
レイモンドさんが困った顔で私を見ている。これ以上彼を困らせたくないので泣き止みたかったけど、勝手に涙が溢れて止まらなかった。
「シルキィ君、おいで」
椅子に真っ直ぐ座っていた体をずらして、レイモンドさんは両手を広げた。わたしはひっくひっくとしゃくりあげながら、彼の膝に座らせてもらう。
「私は、君がとてもやさしい女の子なのを知っています。私が一生このままでも、君は別に困りませんよね? もともとこの契約はお互いの利害が一致しているから結んだものです。私がこのままなら、君はずっと精気の食いっぱぐれがない。それなのに君は悲しい思いをしてまでその試験を受けようとしてくれているんですよね? そんな優しい子を私は忘れたりなんかしませんよ。君が帰るまでちゃんと待ってます」
「ぐすっ。ほんとに?」
「本当ですとも」
大きな体で抱きしめてくれるレイモンドさんの胸に顔を埋めて、わたしは小さい子みたいに言う。
「じゃあ、やくそくしてほしいの……」
「なんですか? なんでも聞きますよ」
「シルキィが戻ってくるまで、ほかの女の人とえっちしないでね……そうしてくんないと……ヤ、です」
ちょっと重い女の子になっちゃったなって言いながら思った。思ったけど、レイモンドさんは笑ってくれた。
「約束しましょう。けれど君が戻ってきた後、我慢した分それはもう凄いことしますけど。それでもいいですか?」
「レイモンドさんがしたいことなら、なんでも!!」
二人ともたまらなくなって、そのまま椅子の上で繋がり合った。
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