3

1/1
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

3

 龍司は慣れた様子でインターフォンを押し、ドアを開ける。龍司以外のヤクザと殆ど面識のない拓海は気後れして、逞しい背中の後ろに恐々と隠れるようにしてついていく。出迎えてくれたのは、(あで)やかなカシュクールタイプのワンピースを纏い、巻き髪を下ろした迫力ある美女だ。 「姐さん、お邪魔します。これが拓海です」 「いらっしゃい。……傷のほうは、もういいの?」  姐さんと呼ばれた女性は、自ら先に立ち屋敷の奥へと案内しながら、時折振り返り柔らかい笑顔を拓海に向ける。 「はい。お蔭様で先日抜糸もしました」  ぺこりと頭を下げると、彼女はうふふ、と笑う。 「随分可愛い子じゃない、龍司。しかも肝も据わってる。うちの店で雇いたいぐらいだわ」  感心したように呟く姐さんを、龍司はやんわりと制止する。 「こいつは、じいさんばあさんのやってるケーキ屋を継ぐ予定ですから。今も製菓学校で勉強してるんです。ちゃんと本人の目標があるんで、水商売はさせません」 「はいはい。大事にしてるって聞いたけど、ホントねぇ。……パパ。龍司が来ましたよ」  姐さんは肩を竦め、和室の外から声を掛ける。中からの返事に、龍司が「失礼します」と障子を開ける。  和室には、リラックスした表情のセーター姿の男性と、その脇にスーツ姿の男性が控えていた。二枚敷かれている座布団の手前で正座し頭を下げる龍司に倣い、拓海もその隣で同じように頭を下げる。 「オヤジ、若頭(カシラ)。ご挨拶が遅くなりましたが、お蔭様で引っ越しも済みましたので連れて来ました。俺の情夫の拓海です」  セーター姿の男性が、顔の前で軽く手を振る。 「あー、堅苦しいことはいいから。拓海さん、龍司が世話になったね。今どき嫁や弟分だって、ヤクザのために身体を張る奴なんて滅多にいないのに。そこまで龍司を想ってくれてるなんて嬉しくてね。礼も言いたかったし、顔が見たかったんで、龍司に無理言って連れてこさせたんだ」  何と言ったらいいか分からなくて、無言で軽くかぶりを振りながら、おずおずと組長を見上げる。白髪交じりの髪は乱れなく整えられている。年の頃は六十代後半だろうか。彼は静かに拓海を見据えると、にっこり頬を緩めた。 「情の深そうな、いい顔してるな。……龍司。お前、浮気するなよ。こういうタイプは怒らせると怖いぞ」 「しませんよ、浮気なんて。誰かさんと一緒にしないでくださいよ」  憤然と言い返す龍司に、組長と若頭は何やら心当たりがあるのか、微妙にバツ悪そうに視線を逸らす。口に手を当てて咳払いをした組長は、再び拓海に話しかける。 「龍司本人から聞いてるでしょうけど、こいつは親に恵まれなくてね。普通の家の常識が少し足りないかもしれない。十代の頃からここに住み込ませて色々教えたつもりですけど、どうしても他人じゃ教えられないところもある。実の親の愛情みたいなものはね……。でも本人のせいじゃないんだ。どうか、長い目で見てやってください」  年も立場も遥かに下であるはずの拓海に、組長と若頭は丁寧に頭を下げる。血の繋がりはないとは言え、二人が心から龍司を案じていることが伝わってきて、拓海はなんだか胸が一杯で切なくなる。喉の奥が熱く何かがつかえたようで、その場にふさわしい言葉がすぐに出てこない。 「……あのっ。僕も、龍司さんから教わった大事なことが色々あるんです。こちらの業界のことがまだよく分からないので、ご迷惑をお掛けしないよう気を付けます」  何とか言葉を絞り出し、拓海も床に付くくらい深く頭を下げた。 「拓海さんは堅気なところがいいんだ。変にヤクザの常識なんかに染まらず、龍司が真っ当な道を歩き続けられるよう見守ってやってくださいね。……さあさあ、せっかく新居に二人揃って引っ越したんだ。ささやかだが、お祝いさせてくれ」  組長は目を細めて嬉しそうに二人を見つめる。姐さんが立派なお造りやお寿司を次々に出してくれた。お酒が入ると次第にみんなの口が滑らかになる。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!