シンメトリー

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 何かが正しいとか間違っているとか、判断することが苦手だ。善悪というか、物事を白黒つけることが。  だって、そうすることには責任が伴うから。間違ってしまうことが怖いから。  だから、俺は全てを曖昧なままにしていたくなってしまうのだ。  そんな俺にとって安住圭は、眩しくて仕方がなかった――。  俺と彼が初めてまともに話したのは高一の初夏、日直が一緒になった時だった。  それまでの安住の印象は時々みんなを仕切っている学級委員、くらいしかなかった。 「倉田くん、日直よろしくね」  朝にこやかに声をかけてきた彼の、シワのないシャツの襟ときつめに結ばれたネクタイが窮屈そうに感じられたのを覚えている。 「うん、よろしく、安住」 「日誌は僕が書くから、放課後ノート回収手伝ってもらってもいい?」 「了解。黒板消すのは俺やるね」  その日なんとなく安住を目で追っていたけれど、いつも背筋を伸ばしていて、人に言う時はちゃんと言っていてまっすぐな人だなと思った。俺は到底彼のようにはなれないな、とも。  少なくとも、俺はグループワークで話が脱線しても、安住みたいにそのことを注意したりすることはできない。     もしゾンビウィルスが流行って周りの人が全員ゾンビになっても、彼は人間のまま生きて死にそうだ。 「安住ってさ、しんどくならないの?」  クラスメイトから回収したノートを国語科準備室に運ぶ帰りに、俺は安住に尋ねた。  単純に気になったのだ。  俺は正直、誰かと深く関わるのが苦手だ。浅く、ぬるま湯見たいな関係がちょうどいいと思ってる。だから、その人の心の奥に迫るような話はしないことにしている。  でも、なんとなく彼はそれほど仲良くない俺にも、勉強を教えるように質問に答えてくれる気がしたのだ。 「何で?」 「なんていうか、いつも正しく生きてるじゃん。自分の中の信念に従ってるっていうか」 「そう見える?」  安住は意外そうに目を丸くした。 「他の人にも正論をちゃんと言うし」 「まあそれは取り繕うのとか冗談を言うのが苦手っていうのもあるけど……」 「俺にはそんなふうにまっすぐ生きることはできないから、羨ましいなって思ってる」 「倉田くんだってそんなひねくれてるようには見えないけどな。不良とかじゃないし」 「確かに髪も染めてないし悪いことはしてないけどさ」 「それに、自分が正しいとは思ってないし、他の人の正しさとか大切なものを蔑ろにする時もあるよ」 「そうなの?」 「僕はスポーツが苦手だから球技大会が嫌いだし、正直非協力的だと思う。世間的には一生懸命やるべき行事なんだろうし好きな人もいるから、僕がきっと間違ってるんだろうけど」 「でも、好き嫌いは誰にでもあるししょうがなくない?」 「世の中の大抵のことは誰かの好みで成り立ってるし、人間の善悪もその上に生まれてるんだよ」 「…………」  頭の中にはてなマークが大量発生した。俺がおそらくポカンとした顔をしていたのか、安住が苦笑する。 「つまり、正しさとか間違いは、単なる好き嫌いでできてるものだっていうこと」 「……安住ってやっぱり頭いいね。俺、そんな風に考えたことなかった」 「半分くらい、前に読んだ本の受け売りだけどね。でも、そんな風に考えたら楽になったよ。僕は好きなものを信じて好きなように生きてるだけで、別に他の人には強制しない。……僕は自分の好き嫌いを元に他の人に色々言ったりもするけど、受け入れられなかったらそれはしょうがないことだと思うし」 「でも、他の人に否定されたり周りの人に間違いだって言われたりするの、怖くない?」 「好みなんて人それぞれだから、正しさも間違いも人によって違うのは当然でしょ? 誰にでも正しいと思うわれることは無理なんだ」 「そっか……」  安住の言葉を聞いて、胸のあたりに詰まっていたものが溶けていく気がした。  俺はずっと、誰かに否定されたり嫌われたりすることが怖かった。それはとても心が痛くなって泣きたくなるようなことだったから。  だから俺はいつもそれを避けるために綱渡りをするような気持ちで友達と接していた。  でも彼の言葉を聞いて、誰にも嫌われずにいることも、全く傷付かずに生きることも不可能なんだと諦めがついた気がする。  それはきっと悲しいことじゃない。むしろ救いとか、もっと優しいものだ。 「ありがとう、安住」 「いや、そんなお礼を言われるようなことはしてないよ」  安住はそう言いながらも、蕾が開くように顔をほころばせた。  彼のことを、もっと知りたいと思った。  どうしてこんなに達観しているのかとか、それだけじゃなくてどんなものが好きなのか、嫌いなのか。もっと色々な表情を見てみたいと思った。  クラスに馴染むためとかじゃなく純粋に知りたかった。  本人は意識していないだろうけど、俺が欲しかったものをくれたから。  今思えば、この感情は最初から恋だったのかもしれない。 「安住、これからも話しかけてもいい?」 「うん、もちろん。これからもよろしく、倉田くん」  安住の僕を呼ぶ声は凛としていて、少しだけくすぐったかった。
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