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 翌朝、寝室の隣のリビングで誰かと電話する龍司の声で目を覚ました。龍司は下着だけを身につけて生真面目な表情だ。まだ寝癖すら直していない。 「……はい。もちろんです。どこの病院ですか? 行くのは早い方がいいですかね?」  身だしなみにはうるさい龍司が寝起きのまま電話していることや、口調や内容から推察するに、相手は組長(オヤジ)若頭(カシラ)だろう。  龍司のパジャマの上だけを羽織り、拓海はコーヒーを淹れる。 「うちの本家の(あさ)葉会(ばかい)の組長、神崎(かんざき)さんが、近々手術するらしい。俺と同じ血液型らしいから、輸血に行ってくる」  拓海が手渡したコーヒーを啜り、龍司は教えてくれた。 「ああ、龍司さん、珍しい血液型だもんね。『シスAB型』だっけ?」  龍司は無言で頷く。 「日本赤十字にも殆ど備蓄がないらしい。日本に千五百人しかいないんだよ」 「組長さん、運が良かったね。子分の龍司さんが同じ血液型で。龍司さん血の気多いし、ちょっと多めに献血してきたら?」 「こら! 言ったな」  龍司はニヤリと悪い笑みを浮かべて拓海の脇腹をくすぐる。拓海は大げさに悲鳴をあげて彼の腕から逃げ出した。A遺伝子とB遺伝子がそれぞれ別の染色体に存在する通常のAB型に対し、一本の染色体上にA遺伝子とB遺伝子が両方存在するシスAB型の存在は、拓海も龍司から聞かされて初めて知った。この時、珍しい血液型を有する二人の極道が血縁にあるなどと拓海は夢にも思わなかった。  しかし、そんなドラマのような話が事実らしいと、龍司のオヤジである四代目墨田(すみだ)一家・大江(おおえ)組長から告げられた。大事な話だと呼び出されて大江邸を訪ねる。 「龍司。こないだは神崎のオヤジのために、ありがとな」 「いえ。血なら有り余ってますから。お安い御用です」  煙草を取り出す大江組長の手は軽く震えている。彼は龍司が差し出したライターで火をつけた。 「話は変わるが、お前、親父さんとは最近行き来はあるのか」 「親父って……、戸籍上の親って意味ですよね? いや。俺が組に入ってからは全く会ってませんよ」  想定外の質問に、龍司は訝しげだ。 「大事な話ってのはな。……龍司。お前の実の親は、戸籍に名前のある人とは別にいるってことだ」  滅多に動揺を顔に表さない龍司も、さすがに開いた口が塞がらない。龍司は父と折り合いが悪く、子ども時代は育児放棄に加えて殴る蹴るの虐待を受けていた。しかし、それとこれとは別の話だ。拓海は固唾を飲み、大江組長の話の続きを待つ。 「神崎のオヤジのお嬢さんが若くして家出した話は知ってるだろう? お嬢さんが産み落とした子どもが生きてるらしい。それがお前だとよ。詳しい話は本家で聞いてこい」 「…………」  龍司は食い入るように大江組長を見ていたが、俯いて膝の上に置いた拳を睨みつけている。拓海は、その場の重苦しい空気を救おうと質問を投げかける。 「なんで分かったんですか? 龍司さんが、本家の組長さんの……孫だって」  大江組長は、むしろ拓海の質問にホッとした表情を浮かべて答える。 「こないだ献血したろ。病院に現れた龍司を見て、側近が若い頃のオヤジに生き写しだって驚いたとよ。年の頃もちょうど計算が合うし、同じ血液型だ。DNA鑑定したそうだ」 「……俺にどうしろって言うんですか? 俺は、滝川(たきがわ)龍司として三十一年生きてきた。それに大江のオヤジと盃交わしてます。極道に実の親だ、じいさんだは関係ないでしょ」  ずっと黙り込んでいた龍司が鋭く言い放つ。周りに自分の敵しかいないとでもいうような、絶望した(くら)い色が目に浮かんでいる。大江組長は、煙草を灰皿に叩き付ける。 「実の親だと信じてきた二人に苦労させられてきたお前に、肉親の大切さを説くつもりはない。だがな……、唯一の孫の存在を、八十過ぎて知った神崎のオヤジの気持ちも酌んでやってくれ。今すぐじゃなくていい。とにかく一度話だけは聞いてくれないか。頼む、龍司。この通りだ」 「……やめてくださいよ。オヤジに頭なんか下げられたら、断れないじゃないですか」  畳に手をついて頭を下げる大江組長に、龍司は眉をひそめ苦しげな表情を浮かべる。  上が白だと言えば、黒も白になる。それが極道の鉄の掟だ。親分に頭を下げて頼まれれば龍司は首を縦に振らざるを得ないのだと、拓海も二年の情夫生活で学んでいた。
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