怪しい名探偵 第6回 煙の向こう側

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 「この国は、どんどん煙草(たばこ)が吸いづらくなっていきますよね」  池袋北(いけぶくろきた)警察署の屋上にある、この署で唯一の喫煙所。冷たい木枯らしが顔をなでる中、同署の刑事課・強行犯捜査係(通称・捜査1係)の海老名(えびな)忠義(ただよし)は、煙を吐き出しながら不満を口にした。その不満までが煙と一緒に木枯らしに吹き飛ばされて、吸い殻入れにも残らないぐらい寒さは日に日に深まっていく。  「煙草が身体に悪いんだか何だか知りませんけど、やり過ぎですよ、いくら何でも。甘い物ばかり食ってブクブク太る方がよっぽど身体に悪いのに、何を考えてるんですかね、厚生労働省の馬鹿役人は。みんな甘い物ばかり食って、脳味噌まで砂糖漬けになってるんじゃないんですか? 健康増進法なんて大きなお世話ですよ。煙草の吸い場所まで細かく規制しやがって。これじゃ逆に不健康増進法と言った方がよくないですか? 精神的に不健康になるだけだ。昔は喫煙所も屋内にあったのに、今では屋内で吸っちゃ駄目。外でもここ以外では吸っちゃ駄目。いい加減にしてほしいですよ」  「ま、ここだけでも煙草が吸える場所があるってだけで、ありがたいと思わなくちゃ。もっと物事を前向きに考えようや」刑事課長代理の戸塚(とつか)(あきら)警部が、吸い殻入れに煙草の灰を落としながら言う。木枯らしできれいに洗浄された青空の下、はげ上がった頭に太陽の光が反射して、まるで太陽が2つあるかのよう。  「前向きに考えようって言われても……どんどん後ろに退いてく気がするんですけど」海老名の不満は続く。「だいたい受動喫煙って何です? 最近それを口実に俺たちを迫害してるじゃないですか。望まない喫煙をさせないために、なんて避妊具じゃあるまいし」  「受動喫煙で被害を被ってる人もいるんだろ。よく知らんが」  「それ、絶対に怪しいと思いますね。どうも異常に煙草を嫌う、おかしな奴らが世の中いるじゃないですか。どうしてそこまで嫌うのかは知りませんが。ちょっと喫煙者の近くに寄っただけで、あ、受動喫煙。相手が煙草吸ってもいないのに少し煙草臭いだけで、あ、受動喫煙。喫煙者を遠くで見かけただけで、今度は目で受動喫煙。煙草って言葉を聞いただけで、耳で受動喫煙……」  「わかったよ、エビ。おまえの気持ちはよくわかるが、屁理屈言い過ぎだ」  「受動喫煙の定義がよくわからないから言ってるんですよ。そんなよくわからないこと鵜呑(うの)みにする役人たちは、本当に腐ってる。この国では金と力さえあれば、どんなに狂った要求でも聞いてくれるみたいですね。あの性転換夫婦の事件の時みたいに」  「あの事件のことは、もう忘れろ」戸塚が遠くを見るような目で言った。「俺たちに何の処分も下されなかった、ってだけでもありがたいことなんだぞ。少なくとも俺の前では二度と口にしないでくれ」
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