怪しい名探偵 第6回 煙の向こう側

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 翌日の早朝、海老名は目覚まし時計ではなく、電話で目を覚まされた。池袋北署の管内で殺人事件が発生したからだ。  場所は巣鴨(すがも)6丁目にある有名な仏教寺院。この本堂の入口に通じる階段の上で、男の老人がこの寒い中、下着1枚の状態で事切れていた。身体中に丸い湿布のような物が貼り付けられている。数カ月前に過ぎ去った暑い真夏を、遠くに追い求めるような姿だった。遺体の発見は朝の5時ごろ。この時期は、まだ夜も明けてはいない状態。  被害者は近所に住む田楽(でんがく)料理屋の店主・小竹(こたけ)(きよし)(76歳)。近所の住人で彼の顔を知らない者はいない。この近所最大の有力者であるのだから。小竹は寺の門前、通称・観音通り商店街で2百年以上続く田楽料理の老舗(しにせ)竹屋(たけや)」の主。竹屋の名物である味噌田楽はとても評判がよく、休日には若者を含めて店の前に行列ができるほど。広徳寺(こうとくじ)前の観音通り商店街=味噌田楽=竹屋、と言われるぐらい。それぐらいの有名な店の経営者ということもあってか、近所の商店会の会長でもあった。小竹が一言何かを言えば、それに逆らう者もいないぐらい。たとえ広徳寺の住職であっても、小竹の言葉には逆らえないほどだった。飛ぶ鳥に対して止まれと命じたら、鳥ですら空中で翼を広げたまま止まってしまうとか。  海老名もかつてはこの店の常連だった。20年近く前、まだ制服巡査として交番勤務をしていたころ、この近くの交番に勤務していたので、竹屋のことはよく知っている。そしてこの店の主である小竹のことも。海老名の知る小竹は気さくで人懐っこく、明るい人柄で誰からも好かれるような人物だった。  「お(まわ)りさん、酒好きだろ?」  小竹は若い海老名を一目で見抜いた。  「どうしてわかったんですか?」海老名が驚いて言うと、  「里芋(さといも)の田楽を好んで食う客は、たいてい酒飲みが多いんだよ。どうだ、田楽だけじゃなく、一杯飲んでかないか? 酒の代金はただにしてやるよ」  「え……でもまだ勤務中ですよ」海老名は内心うれしかったが、断った。  「何、構うもんか。ビール1杯程度なら、飲んでもばれやしないって」  そう言われると海老名も誘惑に勝てなかった。里芋の味噌田楽をつまみに、ついつい昼間から飲み過ぎて、後で上司から酒臭いぞと怒られるほど。  やがて刑事になり、竹屋からも足が遠のいた。やっと日が昇って明るくなり始めた境内で被害者の遺体を見た時、どこかで見たことがある顔だと思っていたが、まさかあの竹屋の親父(おやじ)だったとは……海老名の感慨は、どこかで聞いたことのある不愉快な声に突然破られた。  「あーあ、どうせ老い先短いジジイなのに、むごい死に方ですな」  1年中同じトレンチコートにベレー帽、口には火の点いていないパイプ煙草……丸出為夫(まるいでためお)が被害者を馬鹿にするように言った。
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