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首謀者
「どういう、ことですか。エレーヌさん」
シセリアの声は、思いもよらずうわずってしまう。
思い返してみると、このお茶会ではずっとシセリアが探偵役を引き受けてきた。だが、エレーヌはおそらく、シセリアと負けず劣らず頭の回転が速く、大胆だ。それは、前日のクローデットの裁判でも垣間見えていた。
エレーヌは決然と告げる。
「一連の流れで、別にジョルジュ王子様は有利になっていない。そういうことです。確かに契約書は失われました。だけど、ベルナデット商会が無くなったわけでもないし、状況は極めて疑わしい。クローデット様の不貞をでっち上げて逃げおおせることができたとしても、ジャクリーヌさんの死亡が不利に働きます。……これは、シセリアさんが昨晩、主張されていたことですよね?」
「はは、はははは。はははは! やるねえ、エレーヌ」
哄笑する魔女、困惑するシセリア。
「ジョルジュ王子自身は事件を引き起こしても得にはならない、と。そういうことらしいよ、シセリア」
「うーん……ええと。そうか。その。例えば、クローデット様を排除しようと思う、もっと他の理由があった、とか」
「例えば何だい、シセリア?」
「そうだなあ。ジョルジュさんには、他に結婚したい人がいた、とか。恋愛でも、政略上の理由でもいいですが」
考え込みつつ、慎重に言葉を紡ぐシセリアを、魔女は面白そうに観察している。
「やっぱりやるねえ、シセリアもさ。さすがだよ」
一方のエレーヌは、シセリアを一瞥すると、言葉を返す。
「そんな人の話は、今まで出てきてはいませんよね」
「それは、そうですが。ジョルジュ王子の行動が合理的である可能性を排除できない、そういう話です」
エレーヌは少し黙って、目を閉じる。
考えをまとめている。そして、判断している。この場において、誰が味方で、そして誰が敵なのかを。シセリアにはエレーヌの様子が、そんな風に見えている。
「この件には、他にもおかしなことがあります。……ええ。私が受け取った、謎の手紙です」
『シュヴァリエという男が、契約書を持って離宮のバルコニーを訪れる。
彼がそこから落ちたのを確認したら、近寄って彼の体を調べ、契約書を回収しろ。
その契約書を調べれば、ルイ王子の王位継承の鍵があることがわかる。
それを確認したら、バルコニーにいたのがクローデット王子妃だったと証言しろ』
確かそんな手紙だったと、シセリアは思い返す。
「……この手紙には、続きがありました。『銀行や弁護士は、ジョルジュ王子の手が回っている。契約書は離宮で保管するように』そう書かれていました」
「……つまり。手紙の主は、契約書が離宮にあることを知っていた。でも」
シセリアは事件の成り行き、特に火災後に現場に現れた男たちのことを思い返す。
「それは、ジョルジュ王子側も知っていた」
「ええ、彼らはそういう行動を取っていました。手紙の主はジョルジュ王子と通じているのでしょう、おそらくは」
「ええと、でしたら。どうして、ジョルジュ王子ではない、真の首謀者を疑うんでしょうか」
「ジョルジュ王子が真の首謀者だったら、一度私の手に契約書が渡るような細工をすることが不自然です。それから、もう一つ」
それから言葉を続けようとするエレーヌの顔は、苦痛で一瞬、歪んだものになる。
「火災の前に、ルイ王子様が殺されていたことです。刺殺か斬殺か、そういう形で。私が見つけたルイ王子は、ご自身の血に塗れていた。火災自体による死ではありません」
「え……でも。そう」
シセリアは言葉を失い、失った言葉を自分の中に探す。
なぜ自分は、こんな風に困惑しているんだろう?
シセリアはそれを考える。
答えが出てこない。あるいは、その答えは重い蓋をされて、心の中に閉じ込められている。
「……なんでルイ王子は、殺されたんでしょうか」
やっと浮かんできたシセリアの疑問に、押し殺した声でその言葉を絞り出すエレーヌ。
「……私は契約書を、ルイ王子様の居室に隠していました」
「ヒュー! 大胆なことをするねえ! 主君のおわす部屋に、危険な書類を隠すなんて」
と、これは魔女。話が危うくなればなるほど、魔女は嬉しそうに、楽しそうになる。一方のエレーヌは、苦々しく言葉を返すのだ。
「彼らがやるとは思っていなかったのです。彼らは、ルイ王子だけには手を出さないだろうと。……どうしてなのか、私はそんな風に思い込んでいました。愚かとしか言いようがありませんが、今にして考えれば」
「で、それがなぜ真の首謀者に繋がるんだい?」
「火災の前に彼らは室内に侵入し、おそらくは契約書を奪っている。だけど、ジョルジュ王子の手の者は、それを認識していないし、契約書も彼らの手にはない。……つまり契約書は、真の首謀者、あるいはその手の者に渡っているのでしょう」
それから、エレーヌは沈黙する。以上が彼女の推理のようだった。
三人の間に、沈黙が訪れる。
ここに来て、シセリアは耳鳴りを感じている。
ガリガリと耳元で引っ掻くような音と、高音のビブラートが繰り返すような、一種非現実的な感覚。
それはあるいは、蓋をした記憶が、その蓋の下の恐ろしい何かが、蠢いて掛け金を外そうとしている、そんな感覚だったのかもしれない。
「……だってさ。どうかな、シセリア?」
「どう、って、何がですか?」
「今の推理、検討してみる価値はあるかな?」
「どう……なんでしょう。私には、分かりません」
シセリアは視線を落として、自信なさげに返答を返す。
「ああ、今の質問はね。単に、君の反応を見たかっただけなんだ。ゲームの参加者によって提示された可能性は全て検討する。それが、このゲームのルールだよ。……じゃあさ、エレーヌ。君はどんな可能性を指摘したい?」
「そうですね……」
エレーヌはしばらく沈黙するが、やがて、決然と口を開くのだ。
「クローデット王子妃の睡眠薬を毒薬にすり替えた人物。私に手紙を送り、シュヴァリエの契約書の存在を知らせた人物。そして、火災前の屋敷に侵入し、ルイ王子を殺害した人物。それらが皆同じ人物、あるいは同じ人物の差金で動いている可能性です」
「素晴らしい!」
そう言って、魔女はまた、指を鳴らす。
景色が溶けていく。
見えてきたのは暗闇、その中を蠢く影。
黒いマントに黒いフード、背の高い男だ。
周囲の暗闇に紛れて、慣れた者でなければ視認することは難しい。
空気抜きのための小さな窓しかなく、昼も夜も暗い監獄塔で常日頃生活し、目が慣れた者でなければ。
男は扉を開ける。
中にいたのは別の人物。
小柄で痩せた、真っ白な髪に真っ白な肌の少女。
『全ては、あなたの目論見通りに』
『よくやってくれましたね。……グザヴィエ』
彼女はそう答えを返し、それから言葉を続けるのだ。
『国王と王太子は病身。ルイ王子は死んだ。後は、ジョルジュ王子への国民の不満を爆発させれば、王政打倒への流れが出来上がります。そうなれば』
シセリア。
薔薇の形の痣、悪魔の徴を胸の間に持つ、牢獄の少女。
別名、シセリア・ド・ラマルタン、ラマルタン国王クローヴィスの末娘。
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