望み

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 最後の最後に、シセリアの意識に浮かんできたのは、こんな記憶だ。  やっぱりグザヴィエとの記憶だった。  あんな風に裏切られても、やっぱり思い出すのはグザヴィエのことだ。  それも仕方がない、だってシセリアは、他に人生を知らないのだから。  それは、シセリアが十歳の頃の記憶だった。  監獄塔の記憶、それはいつでも、天井近くの小さな窓から差し込むわずかな光に照らされている。  真っ暗な時間の記憶は不思議と浮かんでこない。  だって、暗闇では何も起きない。数匹の鼠が走り回り、隙あらばシセリアを餌にしてやろうと様子を伺っている他は。  そんな鼠でも、シセリアにとって恐ろしかったことはない。恐ろしいのは、いつだって人間だ。 『…………』  シセリアは目を覚ます。 『目を覚まされましたか』 『……グザヴィエ』  グザヴィエがいるのは、鉄格子の向こうだ。そこで椅子に腰を下ろし、静かにグザヴィエは、シセリアの様子を見守っている。いつだってそうだった。  この頃のグザヴィエは、幾つぐらいだったんだろう。そういえばシセリアは、グザヴィエの年齢を聞いたことがない。シセリアの記憶の中では、グザヴィエはいつだって大人だった。  シセリアは数日間病の床にあって、監獄塔を出され、看病を受けていた。  その間の待遇は決して悪くはなかったと、シセリアは思う。外の人間たちが普段どんな生活をしているのかは、この時のシセリアには想像する他はなかったのだが。  だがそれがほぼ回復すると、また監獄塔へと戻された。移動はシセリアが眠っている間に行われ、またしてもシセリアは籠の鳥だった。 『…………』  シセリアは黙り込む。今回の扱いは、幼いシセリアには堪えていた。  彼らに期待してはいけない、それは理解していたはずだったのに。  国王から赦されて、監獄塔を出て暮らせるようになるかと、知らず知らずにそんな期待を抱いてしまったのだ。 『……シセリア様』  声を掛けるのはグザヴィエだ。本来であれば、最小限の会話だけが認められている二人だった。だが他に相手もいないので、常日頃言葉を交わすようになってしまった。そして、シセリアの沈黙だけで、グザヴィエはその心情を察してしまう。彼はそういう男だった。 『……グザヴィエ。私は、何か悪いことをしたのでしょうか?』  シセリアは尋ねる。グザヴィエは繰り返し、その名前を呼ぶ。 『……シセリア様』 『この人生でなければ、その前の人生に。どんな罪も犯していないのに、こんな扱いを受けているのでしょうか?』  グザヴィエは沈黙し、それから手を伸ばす。 『あなたが犯した罪ではない。罪を犯しているのは、彼らです』  グザヴィエは、鉄格子の内側に向けて手を突き出す。もちろんこんな行いは、彼の立場では認められてはいない、いかなる意味でも。  シセリアは、その大きく骨張った手を、小さく白い手で掴むと、それを頬に当てる。 『グザヴィエ。……ここから、出して。お願い』 『ええ。あなたの、望み通りに』  そうだった。  私が望んだから、グザヴィエは、私たちはこうなった。  だから、私が望めば?  この時とは違うこと、今度は私自身が、グザヴィエを救うことを。
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