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心臓が早鐘を打つ。 封筒を持つ手に汗が滲んだ。 足は少し震えているのを悟られないようにするのがやっと。 「私、3月いっぱいで退職させていただきます」 話しかけてもこちらを見ようともしなかった上司と今日初めて目が合った。 眼鏡越しの冷たい目線が徐々に手元の退職届に向けて下がる。 「そこに置いといて」 顎で指示を出した後、ため息を1つ。 もう上司の目に私は映っていなかった。 必ず何かお小言を頂くだろうと思っていた私は、ほんの少し拍子抜けしてしまった。 「なに、まだ何かあるの」 上司の不機嫌な声色にびくつく。 これ以上この場にいたらまた数時間無意味で理不尽なお説教に捕まってしまいそうだった。 「いえ、何もないです。宜しくお願いします」 避けられるのであれば避けたい。 机の上に退職届をのせて、立ち去ろうと背を向けた。 一応、何か声はかけた方が良いだろうか。 「……今までありがとうございました」 もう最後だし、とりあえず最低限の礼儀をと思い一声かけるが上司からの返事はなかった。 まぁ、そんなところだろうと思った。 上司はパソコンとのにらめっこに忙しいらしい。 もうこの人のご機嫌を伺う必要も無くなった。 来月から、私は無職になる。
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