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第一章 喫茶探偵 2
喫茶店『四季』の電話番号は、電話帳に記載されている。そして、探偵事務所『四季』の電話番号も電話帳に記載されていた。ふたつの電話番号は同じであり、いわば『四季』とはふたつの顔を持っていた。本来であれば、『便利屋・四季』と記載するべきであったが、馴染みが浅いこともあって、泣く泣く探偵事務所と名乗ることにしたのである。
所長であるゲンイチロウがいったように、探偵事務所は本業で表の顔であり、喫茶店は副業で裏の顔であった。
『便利屋』とは、文字通り、どんな依頼でも請け負い、解決する。探偵とは少し違う。探偵は探り窺う、調査が目的である場合が多い。小説やドラマのように、犯人を探したり捕まえたり、派手な活劇を演じることは、基本的にはないのである。そのような依頼は持ち込まれたこともないし、そのため、引き受けたこともない。そのことが少々物足りなさを感じていて、『便利屋・四季』と改名することを、ゲンイチロウは最近、本気で考えているようであった。
四季ゲンイチロウは所長で、相談の窓口係であった。夏目ナオトは春海キョウジと共に実働役である。秋津カナタはサポート役で、必要な機械などを作製したり、手に入れた情報を整理、管理する。紅一点の冬木シオリも基本的にはサポート役であったが、依頼の内容によっては実働役にもなる。喫茶店では利発で快活な看板娘であった。
現在引き受けている依頼はふたつあった。ひとつは、もう解決したも同然であったので、新しい依頼について、ゲンイチロウは説明を始めた。それは、ひとことでいえば、素行調査である。
クライアントの名前は間仲有佳里、十七歳。今年一〇月には十八歳になる。現役の女子高生であり、婚約者である風間慶一の調査を依頼してきたのである。
対象の風間慶一は二十歳。東都大学、通称「都大」の二年生であった。二十歳の大学生の青年と十八歳の高校生の少女が、今年一〇月には正式に結婚という運びとなるのであった。
「偏見かもしれんが、学生結婚という時点で、好意的にはなれんな」
ゲンイチロウが不満そうに首を横に振ると、すかさずシオリが反論した。
「法的には問題ないじゃない」
「ギリギリだけどな」
ナオトが答えると、ゲンイチロウが補足した。
「ふたりとも学生だ、生活費をどうやって工面すると思う?」
「?」
シオリは小首をかしげた。
「親が出してくれるそうだ」
「ふーん、そうなんだ」
「苗字に聞き覚えはないか?」
ゲンイチロウの言葉を受けて、シオリはさらに首をかしげた。四〇度ほど首を傾けているが、どうやら正しい答えには辿り着けそうにはとても見えなかったので、ゲンイチロウはヒントを与えた。
「風間と間仲、どちらも大企業の御曹司と御令嬢というわけだ」
シオリは、ピンときたようである。形のよい眉がはね上がった。
「じゃあ、風間ってあの風間?」
「そう、あの風間だ」
ゲンイチロウが、シオリの頭の中を覗き込んだかのように肯定した。
「へー、じゃあ、間仲っていうのもあの間仲なんだ」
「そういうことだ」
「ふーん」
シオリは、得心したように何度もうなずいている。
「二十歳と十八歳だぞ、それに生活費の心配もないときている。シオリのいうように、法的には問題がないとはいえ、やはり、どうにも気に食わん」
「やくなよ、おっさん」
「誰がやいとるかっ!」
キョウジがからかうと、ゲンイチロウは唾と共に怒声を吐いた。キョウジは手を払った。
「で、そのいいとこのボンボンの素行を調査して欲しいというわけかい? 女遊びでもしているのかね」
キョウジは、愉快そうに笑った。
「そんなこと、好きにさせればよかろう。どうせ、親同士が決めた政略結婚なんだろう?」
ゲンイチロウは、黙念と太い腕を組んだ。
「そうかもしれんが、婚約者が不貞をはたらけば、気分の良いものではないだろう?」
「気分の良いものではないのなら、婚約を解消すればいい。はい、一件落着、至極簡単な依頼だったね」
キョウジは、新しく出されていたアイス・コーヒーに口をつけた。
「それが出来ないから、困っているのだろう」
「それで、うちに依頼してきたというわけかい。政略結婚を黙って甘受するには、まだ幼すぎるのかね」
「そうかもしれん、が」
ゲンイチロウが複雑な表情を見せると、シオリもつられたように複雑な表情になった。
「あたしには、有佳里って子の気持ちもわかるけれど……。女の子にとって、結婚って人生の中でとても大切な出来事だと思うし。それが政略結婚だなんて、少しかわいそうな気がするな」
「シオリはやさしいな」
ナオトがシオリに目を向けると、シオリは少しはにかんだ。キョウジの言葉とは違って、ナオトの言葉には重みがあったのである。
ゲンイチロウが注目するように、一度手を叩いた。
「まあ、気にくわんが依頼は依頼だ。残念だが、仕事を選り好みできるほどの余裕はウチにはない。引き受けた以上は必ずクライアントに満足してもらう。風間慶一の身辺を調査する。それが、クライアントである間仲有佳里の望みだ」
ゲンイチロウは、相関関係が描かれているホワイト・ボードを小突いた。
ホワイト・ボードには、風間慶一と間仲有佳里の写真が貼られていた。両者の間には線が引かれてあり、有佳里の側から「不審」と書かれてあった。一方、慶一の側からは斜め下に向かって「不貞?」と書かれてあった。不貞の先には写真は貼られていなかった。
ゲンイチロウはカナタから、複製した二枚の写真を受け取ると、みんなを見回した。
「風間慶一にはナオトに張りついてもらう。間仲有佳里には、……そうだな、シオリ、できるか?」
「えー、あたし? これって偏見かもしれないけれど、あたし、お嬢様の友達にはなれそうにないよ」
シオリは、眉根を寄せて不満を口にした。
「別に友達にならなくてもいい。それとなく、身辺を洗ってくれればいいんだ」
「うーん、でもねえ」
細い指を口元に当てて考え込んでいるシオリをおいて、ゲンイチロウはナオトに風間慶一の写真を差し出した。ついでという訳ではないが、きつく釘をさされた。
「いいか? ひとこと忠告しておくが、黒塗りの領収書は給料から差っ引くからな、忘れるなよ」
「わかったわかった、了解している。あんまりしつこいと嫌われるぜ、マスター」
ナオトとゲンイチロウの会話が終わると、キョウジが手を上げた。
「間仲有佳里には、おれが接触してもいいがね」
「相関図をこれ以上ややこしくしたいのですか?」
今まで一切口を開かなかったカナタが皮肉を口にすると、キョウジは、思わせぶりな笑顔をカナタに向けた。
「恋愛は自由だろう。それに、おれがクライアントや女子高生に手を出すほど、飢えていると思うのかね? カナタくん」
「キョウジさんの好みはわかっているつもりです。女性は若い方がいい、ですよね?」
「若すぎると犯罪者になる。その辺りをわきまえるのが、立派な大人というものなのだよ」
減らず口をたたいたキョウジは、ゲンイチロウから間仲有佳里の写真を受け取るために手を出した。
「わかった、いいだろう。だが、いっておくがな、こいつは仕事だ。成果が上がらなければシオリと替わってもらう。いいな?」
「へいへい。わかっていますとも。所長さま」
ゲンイチロウが写真を差し出すと、キョウジは人差指と中指でそれを挟んだ。それから人の悪そうな笑み口元に漂わせながら写真を揺らした。
「マスター、いつも思うんだが、クライアントである間仲有佳里を調べる必要はあるのか?」
疑問を口にしたのはナオトであった。ゲンイチロウの目がナオトに向いた。
「現状を正確に、詳細に把握する必要がある。でなければ、正しい答にはたどり着けん。いつもいっているだろう」
ゲンイチロウの説明を聞いても、ナオトは、まだ疑問が残っているようであった。それに気づいたカナタが、ゲンイチロウの言葉を補足した。
「不貞の原因が間仲有佳里にあるかもしれない。そうですよね? ボス」
「ボス」という言葉の響きに、ゲンイチロウは非常に弱かったため、思わずにやけてしまった。
「うむ。まあ、そういうことだ」
「不貞っていうのは、なにかの要因によって触発されることもあります。例えば、間仲有佳里の拘束が激しいとか、あるいは嫉妬深いとか」
「ほら出た、カナちゃんの人間嫌い発言」
カナタの嫌がる呼び方を、キョウジはわざとした。カナタの瞳の奥に対抗心が揺らめいたようである。
「人間と違って、機械は決して嘘をつきません。それに、キョウさんのように自分は軽薄ではないですから。何事も、まずは疑ってかかる性分なんです」
「そいつはどうも、ありがたく、褒め言葉として受け取っておこうかね」
軽薄と評されても、キョウジは特段気分を害されたりはしなかった。他人の評価などに惑わされることはないのであろうか。ゲンイチロウは眉をひそませて、そんなキョウジに冷めた目をくれた。
「くだらん戯言はおしまいだ。きりきり働けよ」
「わかっていますとも。でもね、くだらないと戯言は重言だと、おれは思うがね」
キョウジの指摘にはゲンイチロウはなにも答えずに、ポケットに手を突っ込んで煙草を取り出した。一本口にくわえてライターで火をつけ、器用に輪っかの煙を吐き出すと、シオリが秀麗な眉根を寄せた。
「店長! この店は禁煙です! 煙草を吸いたければ、外か換気扇の下で吸ってください!」
「わかったわかった。まったく、自分の店で好きに煙草も吸えんとは、世知辛い世の中になったもんだ」
ゲンイチロウは換気扇の下に移動すると、紫煙をくゆらせて考え込んだ。
夫となる相手の不貞の証拠を掴んで欲しい。そのためには金に糸目はつけない。大企業の御令嬢とはいえ、単なる素行調査で大金を手つけにするのは、なにか特別な理由でもあるのだろうか。今のところ情報が乏しいこともあって、ゲンイチロウにはわからなかった。ただ、上客であるのは間違いがなかった。上客がこうも続くのは、良い兆候というべきかもしれない。
ひと通り説明が終わると、カナタが壁にかけられているテレビとノート・パソコンをケーブルでつないだ。その後、ある映像が流された。間仲有佳里がゲンイチロウに、依頼内容を語っている際に撮影されていた映像であった。
「――では、よろしくお願い致します」
テレビの中で、ゲンイチロウに対して間仲有佳里が頭を下げていた。大企業の御令嬢よろしく、気品に満ち溢れていた。映像が終わると、ゲンイチロウの目が実働役であるナオトとキョウジに向いた。
「と、いうことだ。なにか質問はあるか?」
「いや、了解だ」
深くうなずいた後で、ナオトが立ち上がった。
「よっと」
勢いをつけて、キョウジが立ち上がった。
「では、所長さまのおいいつけだ、きりきり働くとしますか」
「ああ、そうだな」
ナオトとキョウジは軽く手を上げて、店の出口に向かってゆっくりと歩き出した。
「ふたりとも、がんばってねー」
シオリが身体全体を使うようにして手を振っていた。肩越しに振り返ってその姿を目にして、思わずナオトは、優しそうな笑みを浮かべた。
「ああ、がんばってくるよ」
カナタはふたりを見送ることもなく、奥の部屋に戻っていったようである。
ゲンイチロウは水道の蛇口をひねって水を出すと、煙草の火を消して、ゴミ箱に吸い殻を放り込んだ。
基本的に、調査、行動をするのはナオトとキョウジの役割であった。そのために、ナオトとキョウジの面が割れないようにするために、ゲンイチロウが依頼者と一対一で対応する。少々迂遠ではあったが、依頼の内容は動画で撮影しているので問題はない。依頼人の表情までわかるので、本心を読み取ることも可能なのである。
今回、ゲンイチロウはシオリに有佳里の調査を任せようとしたのには、同学年ではないが同じ高校生なので潜入もやりやすいと考えてのことであった。しかし、本人が乗り気でなければ支障をきたす可能性もある。キョウジは有能ではあったが、性質に問題があった。あまりにも目に余るのであれば、シオリと替わってもらうと念を押したのは、まんざら嘘ではなかったのである。
「まあ、しかし、馬鹿ではないのは確かだし、無能でないのも間違いはないが……」
ゲンイチロウは語尾を濁して深くため息をついた。やはり、心配の種はつきそうになかったのである。ただ、方針が決まった以上は待つしかない。残されたゲンイチロウとシオリ、カナタは、それぞれができることをやるだけであった。
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