あなたのために巣を作る

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「は、……っぁ……、あー、なんだ、これぇ……」    この世のものとは思えないほど、甘美でとろけるような味だった。たまらなくなって、そのまま食べ進めていく。くらくらとするほどおいしい。そう思っているうちに、だんだん本当に目が回ってきた。 「あ、あれ……なに? なんかぁ、おれ……?」  呂律が回らない。気づけば立つことすらできなくなって、比嘉は崩れ落ちるように地面に膝をついていた。  ――蛾は、蝶よりうまい。この世のものとは思えないほど。  佐伯の淡々とした声が脳裏によみがえる。 「さえき、さん……この、おんな――やっぱ、り――」  とうとう身を起こしておくこともできなくなった比嘉の体を、誰かが優しく抱き止める。同僚だろうか。そうだ、後始末の担当者がいたはずだ。かすんだ視界で、比嘉は必死に焦点を合わせようとする。  けれど、比嘉がその人物を見るより先に、息も出来ないほど濃厚なキスをかまされた。ろくに動けない比嘉の舌を器用に絡めとり、上あごから舌の側面まで、余すことなく探られる。その容赦のなさに、比嘉は己を抱き留めた手の持ち主を悟った。 「んっ! ん、ふ……っ」 「比嘉さん、比嘉さん……っ、ああ、ようやくまた会えましたね。ずっと会いたかった」  感極まったように潤んだ瞳を向けてくるのは、つい最近遊んだばかりの、年下のやばい奴だ。 「な、んで……、たつみ、くん」 「ずっとお話したかったって言ったじゃないですか。比嘉さんがお腹いっぱい食べる姿、いつもすごくやらしくて……っ、あの男に抱かれるあなたを、見ているしかできないことが、悔しくてたまりませんでした」  頭がぐるぐる混乱する。ずっと。いつから。いや、見覚えがあるとは思っていたのだ。佐伯と血溜まりでセックスをするたび、突き刺すような視線を感じていた。あれは、こいつだ。いつからか後始末の担当者になっていた男が、辰巳だった。 「ああ、辛いですか。冷や汗が出てきてますね。お腹も痛いのかな。かわいそうに」 「ぐ、うう……!」 「大丈夫ですよ。ほら、飲んで。僕の唾液、飲んでください、比嘉さん。あなたがいつも、蝶の血を飲むときみたいに、おいしく飲んでほしいなあ」  気が狂っているのかこいつ、と思った。比嘉は死にかけているのだ。間抜けにも蛾を食べて、蜘蛛にだけ効く毒を取り込んでしまった。生きるか死ぬかの瀬戸際に、なんで一度寝ただけの男とがっつり深いキスをしなければならないのか。最期にキスをするなら佐伯としたかった。  けれど、頬を上気させた辰巳は、比嘉の気など知りもしない。丁寧に舌を絡めては、口付けとともに唾液を送り込んでくる。どうしようもできずに飲み下すたび、不思議なことに、痛みが和らいでいく気がした。  痛みが浅くなると同時に、比嘉の恐慌は深くなる。  蜘蛛の痛みを和らげる。そんな特殊な体液を持つのは、蜘蛛を獲物にするものだけだ。蜘蛛を苗床にする、『蜂』だけだ。
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