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意識が途切れた後、次に目を覚ましたのは深夜のことだった。抱き合って眠ったはずなのに、佐伯の姿は隣にない。まだ布団に体温が残っていることを思うと、抜け出て間もないだろう。
何をしに行ったのかと首を傾げたそのとき、声が聞こえた気がした。気のせいかと思って耳を澄ませると、やはり誰かが話している声が聞こえてくる。男の声が、ふたり分。
そっと窓辺に身を寄せて、音を立てないように窓を開く。春の夜のぬるい空気とともに、かすかな話し声が聞こえてきた。
「役得ですよね、あなたは」
ぞっと鳥肌が立つ。辰巳の声だった。
「怖がらせて、逃げ込ませて、依存させる。ずっとそうやってきたんですか」
「理仁は巣に戻っただけだ」
「あなたの巣にね。あまり囲い込まれると、手が出せなくなるじゃないですか。挑発したら、殺しに来てくれるかと思ってたのに来やしない」
「獲物を狩るのにのこのこ出かける蜘蛛がどこにいる。事実、うるさい蜂が引っかかっただろうが」
佐伯の言葉に心を抉られた。完全な流れ弾である。巣を張らない蜘蛛もいるけれど、比嘉の目指す蜘蛛は強く、巣を張るタイプの狡猾な蜘蛛だ。元気になったら早速辰巳を殺しに行こうかと思っていたが、なるほど佐伯の言葉は正しいように思えた。
「比嘉さんも、どうしてこんな性悪蜘蛛がいいんでしょう」
「お前には感謝している。ひとりでは生きていけないと、これで心より先に体で理解しただろう」
「自己紹介ですか?」
空気がギスついていて、覗き見している比嘉の方が胃が痛くなりそうだった。モテるというのも困りものだな、と調子に乗る。どいつもこいつも人を殺そうとしてくるのはやめてほしいけれど。
窓の隙間から外を覗いて、ふと比嘉は首を傾げた。そういえば、辰巳も佐伯も、似た系統の顔立ちだ。艶やかな黒髪も、冷たい中に色気が滲んだ顔も、並べたら似ている部分が多いかもしれない。
蜂に捕まっていたことがあると言った佐伯と、卵のときに捨てられたという辰巳。まさかな、と比嘉は顔を引きつらせる。
「消えろ。理仁の周りをうろつくな。腕一本取ってもまだ懲りないか? そんなに食われたいなら、今この場で殺してやる」
「あなたがですか。冗談やめてくださいよ。比嘉さんが殺しに来てくれるって、この体は比嘉さんのものだって言ったんです。それまで大事に取っておかなくちゃ」
言ってない。
(あいつ、やっぱりやばいやつだな)
辰巳の危険性を再確認したところで、消音されてはいるものの、銃声が響く。佐伯のものだ。有言実行する姿に惚れ惚れする。
「危ないなあ。……比嘉さんの頭の中は僕でいっぱいでしょうね。あれだけプライドの高い人です。殺すまできっと、満足しない。悔しいですか?」
「悔しい? なぜ。周りから見つめることしかできないお前を羨む理由がない。所詮お前は蜂で、俺たちの気持ちなんて一生分からないのだから」
「どうかなあ。愛情なんてまやかしで、関心を失うのは一瞬だ。比嘉さんはきっと、あなたを捨てますよ」
相変わらず捨て台詞だけは達者なやつである。その言葉を最後に、声はしなくなった。
そのうち佐伯も戻ってくるだろう。そっと窓を閉めて、比嘉は布団にもぐり込む。
(それにしても)
うつらうつらとしながら考える。
ずいぶんと好き勝手言われているものである。下手を打ったことは否定しないが、弱く見られたものだ。まるで比嘉の意思など関係なく、感情まで操られているかのような言い草は面白くない。
(食うのは俺で、お前らじゃない)
なぜなら比嘉は、強く大食らいの蜘蛛なのだから。
うん、と頷く。そうと決めたら、まずは比嘉も、自分のための巣を作ってみようか。大きな蜂も、同類の蜘蛛も、構わず引っ掛けられるほどの頑丈なやつがいい。
部屋に入り込んでくる人の気配を感じながら、比嘉はゆっくりと眠りに落ちる。
楽しく刺激的な日々を、今日も比嘉は生きていくのだ。
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