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翌日、ニュースで流れる惨劇を引き起こした張本人でありながら、比嘉はそんなことは覚えていませんとばかりに元気に働いていた。
レンタルDVD店で。
殺し屋といえど、夜の仕事だけでは生きていけない。比嘉の場合は特に、蝶の死体を譲り渡してもらう代わりに、報酬の大半を佐伯に譲り渡していることもあり、働かないと家賃も電気代も払えないのだ。
「あざっしたー」
適当に声出ししながら、比嘉はしゃがみ込み、返却されたばかりのパッケージを手に取った。セルフレジがほとんどの会計仕事を肩代わりしてくれる今、店員の仕事といったら新商品の登録と、棚への返却業務くらいだ。
地味な仕事ではあるが、比嘉はこの仕事が気に入っていた。映画観賞は、比嘉の唯一の趣味である。仕事の合間にパッケージを見るのは楽しいし、常に金欠の比嘉にしてみれば、定員価格で割引が効くのもありがたい。
(バルグピース監督の新作じゃん。俺も見てえー)
「あ、それ……バルグピース監督の映画、ブルーレイになってたんですね」
今まさに比嘉が考えたことそのままの言葉が、正面から降ってきた。びっくりして顔を上げると、生真面目そうな青年がレジの前に立っている。
大学生くらいだろうか。その青年は、比嘉よりわずかに年下に見えた。冷たく整った顔に、ノンフレームのメガネがあつらえたように似合っている。染めていない黒髪が男とは思えないほど艶やかなのが印象的だった。
どこかで見たような気もしたけれど、こんな健全そうな知り合いはいない。気のせいか、と比嘉は考えを切り替え、笑顔を作る。
「なってたっぽいですねぇ。俺、映画は見れてないんすよね」
「僕もです。映画館で見るのも好きなんですけど、最近は家でゆっくり見るのが好きで」
青年の言葉に、思わず比嘉は立ち上がる。
「分かる! 俺も! 映画館って迫力はあるけど、人が多いじゃん? 俺、人の匂いとかスマホの光とか気になっちゃって――、あ、すんません、べらべらと」
まくしたてた後で、やってしまったと頭をかく。放っておくと延々としゃべり続けてしまうのは、比嘉の悪い癖だ。佐伯にもよく指摘されるというのに、嬉しくなると止まらないのだ。
「いえいえ」と青年は柔らかく笑った。
「同じです。僕も匂いや音に敏感な方で。だから最近、ホームシアターにはまってるんです。集中できるし、リラックスして見られるから、いいですよね。――あ、これ、レンタルいいですか。あっちの機械じゃうまくいかなくて」
「ああ、古いやつだからかな。最近システム新しくしたから、バーコードの張り替えできてないやつだと弾かれるんすよね。どうもすんません。ついでに新作も借りてきます?」
「いいんですか? ぜひお願いします」
差し出された会員カードを読み込む。TATSUMI NAKADO。
「なかど……中戸さん? ポイントすげえ溜まってますね」
「はい。あ、よければ辰巳と呼んでください。苗字、母の再婚で変わったもので、慣れなくて」
店員に下の名前で呼んでくださいとは変わった注文もあったものだ。よくここに来る客なのだろうか。比嘉の表情を読んだかのように、辰巳は照れくさそうに頭をかいた。
「ここ、よく通ってて。年も近そうだし、実は比嘉さんと話してみたかったんです」
「あー……、前にも話したことあったりする? 悪い。俺、人の顔覚えんの苦手なんだよねぇ」
「いえ、お気になさらず。でもよかったら、仲良くしてもらえたら嬉しいです。いや、仲良くっていうのも変な言い方ですけど」
知らないとはいえ人喰い人と仲良くしたいと言い出すとは、物好きなやつもいたものだ。少しだけ嬉しくなって、比嘉は顎に手を当てて、ちらりと辰巳に視線を送る。
「なあ辰巳さん、この後、時間ある?」
「え」
「俺、もうすぐ上がるんだ。晩飯、良ければ一緒に食べねえ?」
「良いんですか!」
食いつくように辰巳が身を乗り出す。その勢いに引きつつ、比嘉は頷いた。友だちなんてものに縁もなければ、雑談できるような知り合いもいない。わざわざ比嘉に関わりたいなんて物好きがいるなら、たまにはこういうのもいいだろうと思っただけだ。
「映画、好きなんだけどさ……あんまりこういうの、話せる相手がいないんだ。辰巳さんのおすすめ映画、よかったら教えてよ」
「もちろんです。あはっ、こんな嬉しいことが起こるなんて。僕は幸せ者です」
「そこまで言うか。期待外れでも知らねえよ?」
「そんなこと、絶対にありえませんから」
「あ、ああ……、そうか」
パッケージを渡すと同時に手を握られる。その距離感の詰め方に、少しだけ嫌な感じがした。けれど、まあこういうやつもいるよな、と比嘉は気に留めないことにする。
「嬉しいな。比嘉さんと一緒にご飯を食べられるなんて、夢みたいです。おいしいお店、近くに知ってますから。お腹いっぱい食べてくださいね」
「え、うん。どうも……。じゃあ、着替えてくるから、ちょい待ってて」
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