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Prologue
「おい、早くこの仕事をしておけ」
上司の人から軽い感じで資料を渡される。
いつも仕事をする素振りのない上司のことだ。どうせ使い勝手のいい私みたいな駒を使って甘い汁を吸いたいのだろう。
その上、手柄はすべて奪っていく。
……もはやここで働く意義なんてあるのだろうか。
「わかりました……それで、これはいつまでに終わらせればよろしいでしょうか――」
「そんなことをいちいち聞くな!いつも通り以外に何がある!」
「……わかりました」
上司の言う”いつも通り”は明日の始業時間の1時間前までのことだ。
……ブラック企業、怖い。
今更退職しようものなら上司に辞表は破り捨てられシュレッダーにかけられるわ、脱走して労基に飛んでいかないかの監視が付けられる。
もしも輪廻転生があるのなら次は忙しい人生を送りたくはないな、と心の中で思いつつ自分の仕事机へと足を向ける。
始業時間から3時間前。
「め、珍しく早めに終わった……」
無駄な資料が多かったおかげか、自分の想定よりかは早く仕事が終わった。
もう会社バックレようかな……。
もはやバックレたりとかサボることにストレスで抵抗がなくなった私はちゃちゃっと辞表を書く。
そして定時でちゃっかり帰っていきやがった上司の机に辞表を差し込む。
私はそれだけして皆の視線を気にすることなくオフィスを出ていった。
今からは、もう自由な身。
己の時間を好きなように使える。
まずは引っ越ししなきゃな……。上司とかに住所ばれてるから押しかけられても迷惑なだけだし。
明日にでもアパート解約して手ごろなマンション借りるなり買うなりするか……。今まで使わなかっただけで無駄にお金はあるし。
明日からの第二の人生に頭の中で花を咲かせている、そんな至福の時間の中で。
自分の真後ろからただ事ではないことを勘づかせる甲高い悲鳴が夜の街に響いた。
その声に足を止められ、無意識で後ろを向いた私は、現在起こりうる絶望の光景を目に着けていた。
私の少し右で歩いている男の子、振り向いた先には全身黒色のナイフを握りしめた男……通り魔がいた。
このままでは誰も助けに行かぬままこの子は命を落とす。
何もしていない、純粋で罪なき子のはずなのに、無惨に殺される。
……本来そんなことがあってもいいのか?
周りを見渡す。誰もが口を押えこれから子供に襲い掛かる悲劇を嘆く様子だった。
――どうせ私はいたって仕方がない。
今までの人生で何か人に尽くせることが一度でもあったろうか。己に問いかけみるも、答えは”NO”。
私の命と、男の子の命。私の中で天秤にかけたとき重かったのは……。
「うわっ!」
私は申し訳なさを思いつつ、男の子を足で蹴とばした。
そしてそのまま男の持つナイフの餌食になる。
「――っ!?」
体中に今まで感じてきた痛みの何千倍もの痛みが走る。
痛い。熱い。
腹部に突き刺さったソレはいとも簡単に私の皮膚を貫き、肉を裂き、内臓を抉った。
だけど私は。
「……にがさせ、るかっ!」
多分この全力で私の体力は尽きるだろう。そう理解しながらも男の急所に男の子を蹴ったときよりの3倍程度の強さで蹴り上げた。
その直後、私の視界は歪みに歪む。霧がかって何も見えないような気分だった。
私が痛みと疲れで目を閉じると、体を揺さぶられる。
「あ、あのっ!しっかりしてください!」
「君は……誰だ?」
目は開いているが焦点は合わない。失血していくたびに体の機能が徐々に停止していくのが分かる。
「助けてもらった子供です!」
……あぁ、そうかい。
私の喉……もとい口から言葉を発する筋力はもう残されていなかった。
できる限りの読唇で何とか伝えようとするもやはり失敗。
「今から救急車が来るので、もっと頑張ってください!」
……そんなことを言わないでくれよ。
この世界になんて私はいらないと思っていつ死んだってかまわない。未練なんかないと思ってきたのに……。
――君のその言葉のせいで、未練が残ってしまったじゃないか――
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