返事はほほえんで

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 学校帰りの道を歩く。大きな大きな森、沼みたいな池、畑、小さな川。そして家の近くの神社が見えてくるとわたしは下を向く。この季節になるといつものことだ。そこには桜が咲きほこっているから。四月ってそういうものなのだ。  数年前の四月、わたしは心に傷を負った。トラウマというやつだ。  わたしはお母さんとお父さんと大きな川沿いの桜並木の下を歩いていた。ひらひらと舞う桜の花びらを真似してわたしはくるくると回る。桜のことがすきだった。それにお母さんが教えてくれた、みんなの喜ぶ顔を木の上から見ているという桜の精のことだって信じていた。それなのに桜はわたしを裏切った。桜はわたしの頭の上に毛虫を落としたのだ。わたしはさけび、泣きわめき、しまいにはつかれて、お父さんにおんぶされて家まで帰った。それからわたしは桜がきらいになった。四月まできらいになりそうだったけれど、そうならなかったのはわたしの誕生日が四月だから。ため息が出る。桜の季節に生まれたわたしの名前はサクラなのだ。  神社の脇の道を通っているとザアッと大きく風が吹いた。 「……」 「え?」  わたしは何か聞こえた気がして顔を上げる。 「うわっ!」  わたしと、前から歩いてきた男の子はぶつかって同じように声を上げ、しりもちをついた。 「ごめん。下向いてたから」  先に立ち上がった男の子がわたしに手を差しのべてくれた。 「わたしも。ごめん」  その手を取ってわたしは立ち上がる。  男の子と目が合って、ふと言葉の意味を考える。男の子はどうして下を向いていたんだろうか。 「……もしかして、桜きらいなの?」  わたしにはそれしか考えつかなかった。 「ちがうよ。水たまりに映った桜がきれいだったから見てたんだ」  男の子はいたずらっぽく笑う。  わたしはショックだった。仲間だと思ったのに、敵だったなんて。わたしがするべき行動は顔を振ってこの場から早く立ち去ることだけだ。 「おれはフブキ」  男の子はそう名乗った。  わたしは歩き出そうにも歩き出せずに、顔をゆがめる。自分の名前を言いたくはなかった。 「きみは?」  フブキはまだ聞いてくる。いやなやつだ。 「ああ、もう。サクラだよ!」  わたしはやけになってさけんだ。 「桜吹雪! おれたち桜吹雪!」  わかりきったことをフブキはそれはそれはうれしそうに繰り返す。 「だねえ。じゃね」  これ以上腹を立てたくない。私は会話を終わらせて歩き出す。  それなのにフブキはわたしの周りをうろちょろする。 「サクラは桜がすきだよね? だって桜の季節に生まれたんでしょ?」 「き、ら、い!」  わたしはムッとする。今はそれが一番言われたくない言葉だった。 「なんで?」  フブキはわたしの不機嫌な態度をなんとも思っていないようだ。 「はあ」  わたしはあきらめて立ち止まる。フブキに負けたのだ。 「桜のやつがわたしの頭の上に毛虫を落としたから。これで満足?」  これならわかってくれるでしょ、とわたしはフブキの目を見つめた。 「あちゃー。でもどうして下を向いて歩いていたの? また頭の上に落ちてきちゃうかもよ?」  頭をかかえたり、からかうように笑ったりフブキはいそがしそうだ。 「顔に落ちてくるほうがいやだから」  想像しないように、想像しないように、なんて無理だ。言葉にしたらつい自分のその姿を想像していやな気持ちになった。 「また落ちてきたらぼくが笑ってあげるよ」  フブキは舌をベーッと出す。 「そんなことしたら怒るよ」  わたしはフブキをにらみ付ける。でもそれと同時に幼なじみがいたらこんな感じなのかな、と思った。 「じゃあ毛虫をどっかにやってあげる」  人差し指ではじくようなそぶりを見せたフブキは良い案だとでも言うようにその指を立てた。  わたしはあきれたようにフッと笑う。 「いつもいっしょにいるわけじゃないのにさあ」  バカだねあんた、という言葉をわたしはのみこんだ。 「この道を通る時は、いてあげるよ」  フブキは急に真面目な顔をする。 「あっそう」  何を言ってるんだか。わたしは信じなかった。信じる人なんていない。だからふいっと顔をそらしてフブキに背を向けた。 「約束」  ささやくようなフブキの声。フブキはもしかしたら小指を立ててわたしに差し出しているのかもしれない。そんな気がした。 「そんな桜の精でもあるまいし」  わたしはふざけてそんなことを言い、振り返る。その姿を確かめたかったからだ。けれどそこにフブキはいなかった。  ふと疑問が頭の中にわいてくる。ここは家の近くだ。同じ年くらいなのにフブキを見たことがない。一体、フブキは誰なんだろう。もしかして……。 「出て来てくれたら、桜がすきになりそうなのに」  わたしはためしにそうつぶやいた。けれど辺りは静まり返っている。  フブキは本当に桜の精なんじゃないか。そんなことあるわけがない。でもそうかもしれない。わたしには前を向き、歩き出すことしか出来なかつた。 「また明日ね」  風が吹き桜の花が散る中、かすかにそう聞こえた。  わたしは振り返らない。ほほえんでいたから。
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