提督の鉄板

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 都内のとあるオフィス街。  大通りからは一本裏にあたる路地に並ぶ、周囲の高層ビルからは目立ってかけ離れた、はっきり言えば古い建物の一階に、うまいお好み焼きを食べさせてくれるという店があった。いわゆる、隠れた名店、である。  ここの老店主・有菅(ありすが)(でん)は、昼間になると行列さえできるこの店をひとりで切り盛りしているようだ。とはいえそれより早い時間の仕込み時には、若い衆が日替わりで訪れては、傳にぺこぺこしながら手伝っているようなので、若いころの彼とは、弟子が何人もいる名の知れた料理人だったのかもしれない。  だがそれでも昼の繁盛期というものは老骨に堪える。そんな過酷な昼をいつものように乗り越えた傳だったが、今日に限っては日常にはない特別な出来事が訪れる。  高校生の孫娘が帰宅してきた。  何が日常にはない特別な出来事だと思ってはいけない。この孫娘は、いつもは日の高いうちに帰宅なんてしないのだから。学校もロクに出席などせず、夜も遅くまで遊び歩いている不良少女として有名な彼女は、似つかわしくない太陽光を店の入口にてその背に浴び、唯一の家族である小柄な祖父を驚かせる。  「塔子(とうこ)か……今日は早いな」  仁王立ちする孫娘・塔子に対し、傳は口を半開きにさせたやや間の抜けた顔を向ける。昔話に出てくる、狐狸(こり)に騙された村人がしそうな顔だっただろう。仏頂面だった塔子は、これを見て幼い頃にテレビで見たそれを連想したのだろうか、少し顔を崩す。整った顔が見せる笑みはなんとも可愛らしいが、似つかわしくないとは、今や傳でさえ思う。  「おなかすいた。なんか食べさせて」  当の塔子もそれには自覚があるのか、表情をすぐにアンニュイなものに戻す。  「……ああ。カウンターにでも座れ」  ここは、都内にありながら、広島風のお好み焼きを出す店だった。関西風のそれならば、店は具材に生地を混ぜたものだけを提供し、客が自身で卓上の鉄板で焼き上げるというスタイルを取ったりもするが、広島風でそれはまず無く、店側が最後まで調理を完了させ客に提供する。この店の場合、店の調理台たる鉄板に隣接したカウンター席にしか、お好み焼きを最後まで熱々で食べられる機能は存在しない。傳は塔子にそこへの着席を促した。いわばそこは店内では特等席になるが、もう昼下がりで客は誰もいない。  そういう店であったから、それをよく知る塔子は、席につくなり、傳の行動を見て驚く。  キャベツは既に切ってあるものが在庫としてある筈だったのに、傳はそれを使おうとせず、切っていないものを新たに取り出した。そしてそれを必要な分、包丁ではなくスライサーで薄く薄く切ってゆく。つまりコールスローの作り方である。  生地もそうだった。キャベツを切り終えた傳は、粉や卵に手をかける。これもつまり、今回用に特別な生地を作ろうというのだろう。  「広島焼きじゃ……ないの?」  満足に料理などできない塔子でさえ、明らかに違いがわかった。だからその疑問が、つい口からこぼれる。  「ああ。今から作るのは、関西焼きじゃ」  傳は調理のよどみない動きを止める事なく、涼しげにそう孫に答えてやった。
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