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1 連れて行かないで
蓮生。彼は桜とともにやって来て、桜とともにいなくなった。
彼のことで分かるのはそれだけ。
「美雨、花見をしよう」
蓮生と出会って三度目の春を迎えた頃。私が仕事での愚痴をたくさんぶちまけた後、蓮生は唐突にそう言った。
「え、今から?」
季節は4月上旬で、確かに花見シーズンだけれど、時刻はとうに深夜を回っている。
蓮生のことは単なる好きをとっくに通り過ぎていて、空気以上になくてはならない存在だった。いや、それも正確に彼への感情を説明できたとは言い難い。依存か、執着か。そんなふうに綺麗ではない感情の方が近い気がする。
だからこそ、蓮生に誘われたならばどんな時間、どんな場所にでもついて行く。
でもそれは、彼の口から頻繁に出てくる「桜」を除いてだ。私が蓮生に執着しているのと同じか、それ以上に蓮生は桜に囚われている。
「夜桜がすっごく綺麗な名所があるんだ」
目をキラキラと輝かせている蓮生は、まるでおもちゃにはしゃぐ子供のよう。私は極力心を鎮めて、大人の対応をした。
「へえ、それは見に行くのが楽しみ。場所は分からないから運転は任せるね」
内心、浮気相手に会いに行く心境と似ていて、上手く笑えていたかどうか分からない。
ただ、蓮生の運転は好きだから楽しみな気持ちもあった。蓮生は普段は無邪気で子供っぽいところがあるが、運転をする時はその部分が鳴りを潜め、年相応の男になる。その瞬間、私はいつもこちらが蓮生の素ではないかと思うが、どこか掴みどころのない彼のことだから違うかもしれない。
蓮生の穏やかで速い運転で移動して数分後、目的地に到着した。
「美雨、着いたよ」
車から降りる時になっても、蓮生は落ち着いたままで、私に片手を差し出す。私はその手を取って降りると、蓮生がどうして普段の様子に戻らないのかが分かった。
闇の中、淡い光に照らされた桜の木々は、息を飲むほど美しいけれど、見る人を否応なく惹き込み、飲み込もうとするような怪しさもあって、少し恐ろしい。
しばらく二人で黙って見つめていると、蓮生はふいに。
「やっぱり好きだなあ」
と呟くものだから、私は桜のことかと思って蓮生を見ると、蓮生は私を見ていた。
「桜が?」
わざとそう聞けば、蓮生はいつにない強引さで私の唇を奪う。
その晩、桜の魔に魅入られたせいか、私と蓮生は車の中で激しく求め合った。互いを求めても、求めても、果ての見えない欲望に喘いだ時、窓の外で揺れる桜の木々が嗤うようにざわめいた。
その晩のことは、どんなに日が流れようとも鮮明に思い出す。
蓮生はその翌年も私を花見に誘ったのだけれど、花見をしている最中、まるで桜に連れて行かれたように急にここからいなくなった。
私は蓮生と見る桜が好きだったけれど、蓮生を私から奪った桜のことをもう好きにはなれない。
今でもこんなにはっきりと蓮生の温もりが思い出せる。だけど同時に、思い出したくもない桜とともにその記憶は蘇る。
どうして、どうして。
私は桜の開花予報を伝えるテレビを睨み、終わりのない悲しみに溺れそうになりながら泣き崩れた。
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