4人が本棚に入れています
本棚に追加
俺が13の年を迎えた春、父の後妻が男児を産んだ。俺と同じでちょうど桜の季節に生まれた弟は、両眼に桜の花の瞳を持ち、生まれて間もなく目から血を流して気を失った。
幸い命は助かったものの、両眼の視力はほとんど奪われ、歩けるようになっても誰かが手を引かないと前に進めない。
「にいちゃ、にいちゃ」
少しずつ言葉を話せるようになると、俺を繰り返し呼んだ。父や母より俺ばかりを。
俺は弟が嫌いなわけではなく、むしろ可愛いのだが、弱い視力で必死に見てくる弟の目が、そこにある二つの桜が嫌いで、ほとんど無視した。
弟は俺のように体を縛る痣などないが、俺と同じように桜の季節になると調子が悪くなった。両眼を強烈な痛みが襲ってくるらしく、連日泣き叫んでは、やはりなぜか俺の名を呼んだ。
「にいちゃ、おーがにいちゃ」
俺の名は櫻木桜雅といって、桜の字が二つ入っている。桜が好きだった母がどうしても子供の名前につけたかったのだろうが、俺は名前にも縛られているようで嫌いだ。
弟の声に耳を塞げば、体に巻き付く枝の痣も締め付けを強くしてきた。
いつ、この終わりのない呪縛から逃れられるのだろう。
縛られる痛みに加え、臓腑が圧迫される息苦しさと、知らぬ間にどこからか漂ってきていた甘ったるい香りに吐き気を覚え、また意識が霞みそうになった時だった。
「にいちゃ、おーがにいちゃ」
弟の声が耳元でした。
「おーがにいちゃ、おーがにいちゃ」
舌足らずな弟の声が、やけに甘い。鼓膜から直接脳を触られ、撫でられているような感覚がした。
俺はその声に誘われるまま、一歩ずつ足を進めていく。頭は夢を見ている時のようにぼんやりしていて、足裏には何とも言い表しようがない柔らかな感触があり、包み込んでくる。
「桜……」
ゆっくりと足元を見下ろした俺は、足裏をくすぐるものの正体を知った。薄紅の羽毛のような桜の絨毯が辺り一面に広がっている。
気がつけば、俺は月明かりに照らされて淡く発光する桜の道を、どこかに向かって歩いていた。
とうに弟の声はしなくなっていたが、俺は戻ることもせず、ひたすら前へ前へと進む。
「さく……ら……」
芳醇な香りは麻薬のようで、俺は意味も分からなくなったその単語を呟き、その場に倒れ込む。途端に全身を桜の花が覆っていくのを感じ、うっとりと微笑んだ時、くすくすと笑う彼女たちの声が響いていた気がした。
最初のコメントを投稿しよう!