薄桃色の昼

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 川沿いに咲き誇る桜並木は、街の外からも見物人が押し寄せるほどの見ごたえである。休日というのも相まって、今日はいつも以上に賑わっていた。これでは桜を見に来たのか、人を見に来たのか分からない。  いつもの長閑な街並みは影も形もなく、昼間から酒が入った野郎どもの陽気な宴がそこかしこで繰り広げられていた。 「今年は一段と混んでいるねぇ」 「ああ、煩くてしかたがない」 「そう言うな、これも一つの醍醐味じゃないか」  実巳が目を輝かせる。何にでも意味を見出す悪癖は、こんなところで役に立つのか。たしかにこれは楽しんだ者勝ちかもしれない。しばしの間、俺はこの非日常の喧騒に身を委ねることにした。 「おい、前を見て歩け」 「誠一こそ周りを見てごらんよ、みんな上を向いているから。あ、やっと掴めた」  ふらふらと歩いていた実巳が、嬉しそうに左手を差し出してきた。ゆっくりと開いたその手には、小さな薄桃色の花弁が一枚。俺は意味がわからんという顔をする。 「なんだ、知らないのか? 舞っている花弁を左手で掴むと、幸せになれるんだぞ」 「そんな(まじな)いを信じているのか」  こいつなら信じかねんと、俺は本気で心配する。それが可笑しかったのか、実巳は大きく笑った。いつもへらへらと、春みたいな奴だ。 「信じるものは救われるらしい」 「俺には理解できんな」 「じゃあ、その左手にはめた幸せはなんだい」  ああ言えばこう言う、だからこいつは好かんのだ。けれど憎みきれないのは、幼馴染の情というものだろうか。  俺は左手を見た。銀色に輝く結婚指輪は、絹代の夫である証だ。どれだけ辛くとも、俺には絹代がいてくれる…… なるほど確かに、少し救われる心持ちがした。 「それでお前は、どんな幸せを願うんだ」 「そうだなあ…… 家に着くまで転びませんように」 「ささやかな願いだな」 「花弁一枚なら、そんなものだろう」  変なところが現実的で、俺は思わず笑ってしまった。こうやって笑うのは、随分と久しぶりな気がする。  春はいつも気が立っているから。
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