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───────目が覚めると敷布団の上に横たわっており、起き上がろうとしても身体は重く指一本も動かせぬままふわふわとした意識で辺りを見回した。
香が炊かれているようで、少し煙たく風通しも悪いせいかどこか甘い香りがグルグルと思考を濁らせている。
(このにおいのせい……?)
懐から符を出したくとも出せず段々と朦朧とした意識の中でさえ焦りが込み上げてきた
(おれ…なんでここ……)
先程まで良元達が屏風を見て話し合っていたのは覚えているがそこからの記憶は無い
悶々と思考を巡らせようとしても意識が甘い匂いによって分散された、そして暫くすると襖を開ける音が後ろの方でしたのだ。
力も入らず起き上がることもできない青年は背中に嫌な汗を浮かべる、服の擦れる音と畳が軋む音が間近まで聞こえ、ぎゅっと目を瞑れば首と肩を抱き抱えられ体を少し起こされた。
頭と背中に感じる感触は物ではなく人のそれだった。
「ほら、粥を持ってきたよ」
優しく朗らかな声が聞こえそっと目を開けると目の前には三十路程の歳頃の男が覗き込んでいた。
愛しそうに青年の頬を撫でるその男の眼の焦点は合っておらず、青年を見ている筈なのに別の誰かを見ているようだった。
持ってきた粥を木さじで掬うとその粥は赤くドロドロとしていて、鉄のような匂いが鼻につき少しだけ意識が覚醒した
(まるで血の匂いだ…!!)
匂いのお陰かゆっくり動くようになった身体を身動ぎさせると今度は覆い被さるような体制になりまだ差程力の入らない顎を掴まれる。
「好き嫌いはいけないよ、君は身体が弱いのだからしっかり食べなさい」
ねじ込むように口に粥と言われた鉄臭いものを入れられ青年は涙目になりながらも嚥下するのを抵抗すると、今度は息が出来ないように鼻と口を抑えられ飲み込ませようとしてきたのだ
口の中の物は喉を通らず鼻や口を抑えられているのにも関わらず青年は嗚咽を吐き口からも鼻からも飲み込まれる事の無い赤く鉄臭い粥が溢れ出た
「ッ!!!!」
涙目になりながら匂いによって覚醒した青年は、左手に握りこぶしを作りその男の顔面をぶん殴りすぐさま粥を吐き出し、よろめく男の腹を蹴り離れさせると脱兎のように走り出した。
(くそっ!くそっ!!何か足止め出来る符を…!!)
懐を探って取り出したのは剃刀が入った包み紙と床縫いの符、それから良元から貰った怨女の符を持ち剃刀の入った包み紙をそのまま強く握った
「いっ…!!」
痛みに顔が歪むものの、符の効果を出すためには血が必要であり、特に怨女の符はかなり血を使うのは目に見えて分かっていたので血がまだ多い最初の内に使うべきだと青年は判断した。
剃刀だけその場で捨て滴る血を符に染み込ませると黒いもやのような物が符から出てきたと同時に先程までいた部屋らしき所から爆音が鳴り響き地響きのような音が段々と近づいてきた。
すぐさま青年は符を音のする方へと飛ばすと床縫いの符が青白く輝き蜘蛛の巣の様な氷柱でその音の手足を縫いつけた。
それは1本角の鬼だった。
壁に食い込む指、人とは思えぬ長い長い舌と牙は同時に放った怨女と言われた肉塊を咥えていた。
「ひッ……よ…よしもとさん…!!よしもとさん!!!良元さん!!どこ!!?無理!!!こんなの無理!!!!!」
慄いた青年は遂には泣きながら赤に染まった顔を歪めて走る
きっと今の光景を良元がみたら「楽しそうで何よりです。」と見当違いなことを言い出すであろう
バキバキと後ろの方で床縫いの氷柱が破壊される音が聞こえる、想い人に対しては割と効果のある符だが鬼に対してはほんの少しだけ動きを見止めることしか出来ないと良元が言っていたのを思い出す…
恐女は数人の女のような悲鳴をどこにあるのかも分からない口から上げながらその肉塊で鬼の喉元を絞め殺さんとばかりに伸ばしている。
直ぐに食べられてしまうとばかり思っていた青年は流石良元がくれた符だと感心したのもつかの間、なんと鬼は恐女を咥えたまま氷柱を破壊し青年を追ってきたのだ。
一気に距離を詰められ無我夢中で走る青年を鬼は掴むと壁に打ち付けた
「ゔっ……」
骨の軋む音と胃から込み上げてくる液体が口から溢れ出しずるずると壁を背にしたまま青年は座り込んだ
鬼はうわ言のように「愛している」「私の可愛い子」「ひとつに」と言いながら恐女を噛み殺し青年にその長い手を伸ばすと青年を絞め殺さんという勢いで腹を握られ耳の奥でみしみしという音が聞こえてくる。
段々と遠のく意識の中何か黒い物体が青年の顔を横切った。
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