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-春は嫌いや…
泣かせたあの娘の、真っ新な笑顔が、夢に出るから…-
*
「おう棗!!今晩どうだ?!奢るぞー?」
…雪解けもひと段落し、漸く桜の開花をちらほらと耳にするようになった、杜の都仙台に佇む、仙台地方検察庁。
クイッと盃を飲む仕草をしながらやって来た同僚の酒井に、藤次は眉を下げる。
「悪いな酒井。まだワシ仕事あんねん。荷解きもまだやし…」
「なんだよー。そう言ってこっちに来てから全然付き合ってくれねぇじゃねぇか。…あ!もしや下戸か?!」
「ちゃうねん。酒は好きや。ただ…」
「ただ?」
問う彼に、藤次はペコンと頭を下げる。
「とにかくスマン。また、誘ってや。」
「お、おい棗!」
そうして、戸惑う酒井から逃げるように、藤次はエレベーターに乗り込んだ。
*
「…ただいま。」
仙台市内のアパート。
真っ暗な部屋に灯りを点けて、藤次は荷解きされずに放置された段ボールの海をかき分け居間に行くと、小ぶりのテーブルにコンビニ弁当とビールの入った袋を置いて、窓を開ける。
「…とうとう、満開か…」
視線の先には、大きくもなければ小さくもない桜の樹があり、薄紅色の花弁がサラサラと風に靡いていた。
-棗検事…-
「博多は、とっくに散ったやろなぁ〜」
脳裏に浮かぶのは、かつて結婚の約束までした、部下で恋人だった…美知子の笑顔と声。
初めて出会ったのも、初めて体を重ねたのも、この桜咲き誇る、春だった…
そのせいなのか、最近頻繁に夢の中に美知子が出て来て、やるせない気持ちに苛まれる。
「…ワシの一方的な理由で振った言うのに、ホンマ、未練がましい…」
嗤って、テーブルに置いた袋からビール缶を取り出すと、窓辺に腰掛けプルトップを開く。
「…こんな気持ちが終わる事なんて、この先、あるんかなぁ〜」
本当に、真面目に結婚を考えた。
生涯を誰かと歩いていこうと思った。
けど、結局、母や自分に酷い仕打ちをして来た父のようになるのではと言う不安が勝り、逃げた。
どんな事にも、一度逃げると、逃げ癖がつく。
だからきっと、これから先も、桜の花が咲く度に、新たに心にできたこの傷を、美知子の涙と共に思い出すのだろう。
そう思っていた。
今日と言う日を、迎えるまで…
「綺麗ね…」
「ああ、綺麗や…」
白いチャペルを覆うかのように植えられた桜の園を、藤次は笑顔で見つめる。
その傍には、真っ白なウェディングドレスを着た…妻の絢音。
桜咲き誇る4月の大安吉日。
あの仙台の夜から約20年。
45歳になった藤次は、絢音と出会い、一年余りの交際と同棲を経て、今日…結婚式を迎えた。
絢音と出会った当初は、芽生えた恋心に戸惑い怯えていたが、彼女の笑顔が、彼女の温もりが、それを癒し、共に過ごす内に、自然と彼女を守って行きたい、生涯かけて愛していきたいと思うようになり求婚。
思いは受け入れられ、正式に婚約。
ただ、目の前に婚姻届が差し出された時、口には出さなかったが、不安で仕方なかった。
愛する絢音を、父のように罵倒し家に縛り付け、
泣かせるのではないか。
子供を授かったら、その子に自分と同じように、お前など生まれてこなければ良かったと言ってしまうのではないかと、不安だった。
けど、先に書こうかとペンを執った絢音の横顔は、とても満たされて…幸せそうで…
こんな自分と一緒になることに一切迷いが見受けられなくて、それが堪らなく嬉しくて、嬉しくて…
気がつけば、白紙だった婚姻届は埋まっていた。
-棗検事…-
脳裏に浮かぶ、美知子の笑顔と、柔らかな声…
愛する気持ちに別れは告げたが、きっと彼女は、自分の中で生涯生き続ける。
それだけ、彼女は自分にとって…
「どうかした?」
ぼんやりとしていた自分を不思議そうに見つめる絢音の頭を優しく撫でて、藤次はフッと目を伏せる。
「ここだけの話やで?実はワシ、桜…嫌いやねん。」
桜流し 了
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