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平原を馬車で一日かけて踏破すると、地上最後の龍が飛ぶ山にたどり着く。
一歩足を踏み入れた途端、空気が一変する。頭上を覆う木々の緑は不自然なほど濃く、辺りは何かを畏れるように静まり返っている。野生動物の怯えた息遣いだけが、時折空気を震わせた。
地上最後の龍は、普段は山の周辺を飛んでいるだけの謎の存在だが、人里に近づくととてつもない雨を降らしたり、雷を落としたりする。龍が近づかないか監視するのが監視塔の役目だ。と言っても俺たち監視員に龍を止める手段なんかないし、この五十年、あの龍が山から動いたことはない、らしい。
昔はもっと龍がいたのだそうだ。だが龍同士が争ったり、ときどき人間の歴史に現れる「英雄」ってやつが龍殺しを成し遂げたりして、もう最後の一匹になってしまった。
——それを研究していたのが、俺の父親だった。
誰に命じられるわけでもなく、王国中を巡って龍に関する伝承を聞き書き、龍を追いかけて山にのぼって生態を探り、山で怪我をして片足が動かなくなった後は幼かった俺に命じてあれこれ調べまわった。
『これは寂しさをなくすための研究なんだよ』
父はよくそう言っていた。首を傾げる俺を枕元に差し招いて、
『あの龍はもう地上に一匹だけなんだ。それはとても寂しいことだろう? だから父さんは、龍を理解して、わかりあって、心を通わせたいんだよ』
絵本を読み聞かせるように言い含めた。
俺は首を傾げたままだった。そんな俺に父さんは柔らかく笑って、『カナンにはまだ早かったな』と頭を撫でてくれた。その感触は、好きだった。
けれど、父の言葉の意味を俺はいまだに理解できていない。
父に教わることはもうできない。ある雷雨の夜、父はその研究を危険思想として咎められ、軍部に殺されたからだ。
俺はその後王国の教会で細々と暮らしていたが、あるとき革命があって王権が変わってしまった。新たな王権は龍を利用することを思いつき、俺に父親の研究を引き継げと命じた。拒否権はない。俺は父のように殺されたくはない。
服の胸元に付けた徽章に触れる。それは昨年、俺の研究成果を評価した軍部から贈られたものだった。これまでの功績を褒め称える、これからのなお一層の励行を期待する……。そんな言葉とともに支給される研究費が増えた。
その裏に込められた意味は理解できる。龍を支配するための弱みを早く握れ、ということだ。
天頂から射す日光に、じわ、と汗が浮かぶ。山奥に続く山道には大小問わず石が転がっており、でこぼこしていて歩きづらい。
背嚢から水筒を取り出し、歩きながら水を飲む。それからため息を吐き出した。
今や俺がこの国で最も龍に近しいことになっている。もっと優秀で、ずっと熱心で、ふさわしい研究者がいたのに。
龍に近づくべきなのは、俺ではない。
——そこで、足が滑った。
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