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龍は日中、気紛れに飛んで過ごしているようだった。だが、夜になると必ず窪地に戻ってきて、泉の隣、すなわち巫女のそばに頭を預けて眠る。
俺はその様子を、窪地を見下ろせる洞窟から観察していた。
それは一幅の絵画のようで、俺は育てられた教会を思い出していた。あそこには礼拝堂があった。決められた曜日に礼拝があって、ぼんやり見上げた天井では、天使だか女神だかが肩を寄せて微笑んでいたのだ。
ここ数日、山には大粒の雨が降り落ち、地面を泥濘に変えている。空一面に鈍色の雲が垂れ込めていた。
けれど、窪地は雨風に晒されるふうでもない。木々で遮られるからか、いつも穏やかな、犯し難い空気が流れていた。
携帯食料を齧りながら、俺はノートに調査結果を書き留める。
窪地の周囲を探索したが、目ぼしいものはなかった。植生も地形も至って普通。龍の気を惹くようなものは見当たらない。
となれば、やはり、龍のお気に入りは窪地にある。あの場所を寝床と定めるのは、巫女が理由なのか——。
龍と目があったときのことを思い出す。それだけで、今でもかすかに手が震える。あの瞳に宿っていたのは明確な敵意だった。縄張りを踏み荒らす侵入者への、あるいは宝物を盗む泥棒への。
王国各地には、龍が懐に宝を抱くという伝承がいくつも存在する。それは黄金だったり宝石だったり様々だが、人間という例はない。父の遺した手記の中にもなかった。
ノートから顔を上げる。視線の先では、いつものように龍が微睡んでいる。その隣には巫女の亡骸。巫女の命はとうになく、龍の考えていることなんてわかりはしない。けれど、俺の目には、二つの魂が安心しきって寄り添っているように映った。
あれが、寂しさがない、ということなのか。
言葉などなくとも、お互いわかりあって、心を通わせた果てということか。
父が見たらなんと言うだろう、と考えて、何も思いつかないことに気づく。記憶の中の父はいつだって龍の話をしていた。心から龍を愛していたのだ、あの人は。地上最後の龍から寂しさを取り除きたいと心底願っていた。
たぶん、今目の前に広がっているのは、父が夢見た光景だ。それなのに、俺は心を躍らせることもなく、淡々と調査を続けている。血を分けた父の思いにさえ俺の手は及ばない。
胸元の徽章を指先でいじる。
俺の役目は龍の弱みを握ること。そして軍に引き渡し、利用できるようにすること。
早く軍部に報告すべきか、という思いが胸底に湧き上がる。窪地では、龍と巫女が眠っている。世界には互いしかいないとでもいうように。
視線を引き剥がし、ノートに目を落とした。記録はまだページの半分も埋まっていない。
時期尚早だ、と結論づける。まだ調査すべき場所は残っている。
あの窪地の中には、初日以降足を踏み入れていない。巫女には近づけなくても、泉の方ならあるいは——。
とりとめもなく思考を巡らせながらノートを閉じ、洞窟のゴツゴツした岩肌にもたれかかる。
眠気はすぐにやってきた。
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