忘れて、忘れられて

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「好きなことして生きていくのなら、多少は?」 「違うよ。まあそれも一理あるかもしれないが」  今度は私の名前を小さめに書き込んだ。 「ヒナタは?どんな時が幸せ?」 「何?哲学の授業でもするつもり?」 「そんな難しく考えんなよ。簡単なことでいいよ。寝てるときとか、食べてるときとか」 「……何もしないでのうのうと生きていられるとき」 「あはは、お前らしいな」  私の名前の下に箇条書きで『自由』と書き込まれた。適当なやつだ。 「お前にとってはこれが幸せと」 「淳平にとっては?」 「俺にとっての幸せは、忘れられないこと」 「は?」  幸せの形は人それぞれなので、とやかく言う権利はない。 「……顔の話?」 「おい、ひでえな」  顔がコンプレックスなのだと思った。 「俺はさ、みんなの記憶にいたいんだ」 「それが幸せ?」 「そ」 「それがどう繋がるわけ?」 「役者やアイドルはみんなに見られるだろ?」 「……だから記憶に残る」 「そ」 「でもそれは淳平の幸せでしょ?私の言う幸せとは違うじゃん」 「そうだけどさ。俺はみんなに知ってほしんだよ。お前を」  私たちは昔から友達と呼べる相手がほとんどいなかった。小、中、高のどの同級生も私たちのことは覚えていないだろう。 「たくさんの人から忘れられない人に、お前にはなってほしい」 「私は別に。それは淳平が目指すべきものなんじゃないの?」 「俺は……」  彼の言葉をチャイムが掻き消す。呪われているかのようにその言葉がいつも聞けない。 「ここまでか」  彼が私の名前とその下の自由という言葉を消した。 「お前授業だろ?」 「うん。……それは?」  私はでかでかと書かれた『幸せ』という二文字の言葉を指さした。 「あー、いいよそのままで」 「よくないでしょ」 「これを見て自分の幸せを考えてくれたら、棚ぼたじゃん」  棚ぼた?ああ、棚から牡丹餅のことか。分かりにくい。それによく見るとさりげなく彼の名前が書きこまれていた。本当に自己主張が強い人だ。 「またな」  二人の時間の終わりを告げるとともに、次の約束をする。  その日の帰り道、私は彼からさりげなく盗っていた煙草を取り出した。どうせこの煙草は今日にでもゴミ箱に捨てられる。罪悪感なんて微塵もない。 「なにこれ」  意外と悪い気分ではなかった。
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