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コーヒーを飲んでいると目の前に桜の盆栽が現れた。薄いピンクが彼に似ている。
「どう?」
恋人は満面の笑みで盆栽を持っている。一人暮らしの家にいつでも訪ねて来れるように合鍵を渡しているので、彼女が家に入ってこらたのは不思議ではない。できればチャイムくらいは鳴らして欲しいが、唐突に現れるのも楽しみではある。
「何これ」
「盆栽だよ盆栽」
彼女は頬を膨らませて、テーブルに鉢植えを置く。咲いている花が少し揺れた。
「知ってる。どうしてこれがあるの」
「抽選で当たったんだ。春らしくていいでしょ……って思ってないよね」
急に声が低くなり、部屋が涼しくなる。彼女の目が冷たいからだ。大きな目は細められ、目の色が暗くなる。
「どうして喜んでくれないの」
「すごいなと思ってるよ。良かったね、当たって」
「思ってないよ。翔太、桜嫌いだもんね」
僕は桜が苦手だ。咲き誇るピンクや散る花びら、見向きもされない緑を見ると悲しくなる。良い答え方が分からず閉口していると、彼女は涙を浮かべた。
「私は彼氏と桜を楽しみたいの。お花見して手を繋いで歩いて……」
「したでしょ」
「でも翔太は楽しそうじゃない。桜から目を離してる。一瞬に楽しんで欲しいのに」
「宮城と花見してた時は楽しそうだっんだから、楽しめる人と行けばいいよ」
大学から帰る時、宮城と彼女がライトアップされている夜桜通りを歩いていたのを見かけた。花びらを捕まえようとはしゃぐ姿を思い出す。テーマパークや海は楽しめるが、桜は友人たちと楽しんだらいい。彼女の目尻は上がり、失言だったと気づく。
「ごめん…」
「宮城くんと浮気してたの知ってたんだ」
「え?」
浮気?全く知らない、分からないが彼女が怒っていることだけは分かる。心に穴が空き、呆然と見つめた。
「浮気知ってて、私が隠してたのを楽しんでたんでしょ。最低!」
床に置いていた小さなショルダーを掴んで玄関まで走った。僕は立ち上がって彼女の腕を掴むが、すぐ振り払われる。
「待って、盆栽は?」
「いらない!別れるからいらない。捨てて」
大きな閉まる音がして、部屋が静寂に包まれた。何で盆栽を尋ねてしまったんだろう。ちゃんと引き留めるべきだったと蹲って頭を抱えた。浮気されたこと、別れることが悲しくて立ち上がれない。大きくため息を吐くと、背後から桜の香りが流れ込んだ。
「私が嫌いだったなんてね。昔はあれ程会いに来てくれていたのに」
振り返ると彼が優雅に微笑んでいた。
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