相応しいイントロ

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相応しいイントロ

 ただ作業的に息をする日々に意味を見出せず、これからの日本に希望も持てず、何もかもがどうでもよくなりましたので、二十歳の誕生日に、全てを終わらせようと決めたのは、つい先日のことです。  誰のせいでもありません。誰のせいでもない。全てが嫌になったという、たったそれだけの理由で死を選んでしまうような弱い自分自身がいやでいやで仕方ないのです。  どうか許してください。私はこの道しかなかった。どうか、許してください。  ──文末に、自分の名前を書き、私は震える手でペンを置いた。ラジオから、わたしの好きな曲が流れていて、幾度も聞いたメロディーが心を癒す。今から死ぬというのに。今から死ぬというのに、わたしは音楽一つで心を躍らせている。案外、そんなものかもしれない。  死というものが一向に身体を離れず、わたしは大変苦しみました。学校に居ても、家に居ても、道を歩いていても、漠然と死について考えてしまっている。何度か、走っている車の前に飛び出そうとしたことがあります。駅のホームで飛び降りようと考えたことや、いっそ教室の窓から飛び降りてしまおうかと考えたこともありますが、公共の場や人前で死ぬのはどうかと思いとどまりました。いつもわたしは考えて終わってしまいます。  そういうことを、友人のAに相談すると、彼女は笑うばかりで、わたしは軽く失望してしまいました。別に否定の言葉がほしかったわけでもなく、ただ聞いてほしかっただけで、人の悩みを笑うAが、実は友人ではなかったのだと知る。  全てが悲しい。生きていることが悲しくてたまらないのです。虐められているだとか、そういうわけではないのに、そういう訳では無いのに、ただただ疲れてしまう。声を出すことも人と話すことにも疲れ、どうしようもない人間だという理解はしているつもりです。馬鹿げているとも思っています。家族に迷惑をかけてしまう。わたしは、生きているだけで迷惑をかけてしまうのに、死んだ後も迷惑をかけてしまうのか。そうか。そうか。  ラジオから聞こえる声が、明るく「また来週」と言ったので、『遺書』と大きく書かれた封筒に一枚の便箋を入れる。それを持ち、あらかじめロープをかけておいたドアの前にもたれかかり、まだ震える手で首にロープをかけました。脳が冷えていく。さむい。首が冷たい。まだ、息ができる。  まだ息ができると知り、生きている理由を探すように、生きていることを確かめるように、実感するように、何度も呼吸をしました。ラジオで流れていた歌を口ずさみ、曲を作った彼女の死因は何だったかと思い出そうと努めましたが、とうとう思い出すことはできませんでした。力も尽き、次第に眠気が、わたしを襲い、さきほど飲んだ睡眠薬が効いてきたのだと呑気に考える。もう日付は変わったはずだ。  そして、静かに目を閉じ、わたしはいつものように眠りにつく。朝が来ませんように。そう祈った夜が現実になりつつあります。  お父さん、お母さん、わたしは元気にやっていますよ。
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