夜の帳が下りたあと

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 それから二週間経ったけれど何かが起きることもなく、また平凡な毎日に元通り。あの日が特別な夜だっただけで、もともと僕が進むべき人生はこんなもんだって思ったら納得できた。  もう期待することは諦めてしまった。半ば拗ねた子どものように、僕は夢見ることをやめてしまったのだ。  なんとなくいつもより早く家を出て、大学に向かう前にコンビニに寄って店内を物色していれば、流れていた流行りの音楽から店内放送に切り替わる。  「皆さんこんにちは、suiです」  落ち着いた声が誰のものか分かった瞬間、ハッとして固まってしまう。  前に聞いたものとは少し違う、余所行きの声。新作のお菓子に伸ばしかけた手を止めて、聞こえてくる彼の声だけに集中していた。  「この度、記念すべき三十枚目のシングル『stargazer』が五月四日に発売することになりました。いつも応援してくださる皆さんに向けた、僕なりのラブソングです。店頭でもご予約受付中! よかったらたくさん聴いてください。以上、suiでした」  たったの一分にも満たないあっという間の放送。けれど、suiが僕の心を奪うには十分すぎる時間だった。  「はぁ〜〜」  なんだか力が抜けて、へなへなとその場にしゃがみこむ。顔が熱い。  おかしいな、ファンになっちゃったのかも。ぐと唇を噛み締めて、僕は葛藤しながらレジに向かう。  「すみません、suiのCDを予約したいんですけど……」  バイト先じゃなくてよかった。  そんなことを思いながら、知らない店員さんに向かってそう言っていた。
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